大名の某餃子店のトイレに河童がいるかもしれない?!
福岡市中央区の大名に「養巴町通り」という道があります。
▲ こちらの道です。
▲ 地図で言うとこの辺りの通りです。
「養巴町」の名前は、この辺りに住んでいた「鷹取養巴」に由来があります。
鷹取養巴は福岡藩の藩医をつとめていた人物だったそうです。
▲ 福岡藩分限帳で鷹取養巴を調べてみると400石をもらっていた りっぱな医者だったようです。
400石を現在のお金で換算すると年収3000万円ぐらいの計算になります。
そして、薬院筋に住んでいたと書かれています。
▲ 古地図で薬院筋を確認してみると・・・
▲ こちらにありました。(※ 地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み」【海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編】より引用)
▲ 現在の地図で言うとこちら。
▲ 某有名餃子店がある場所です。
この場所に医者の鷹取養巴が住んでいたのですね。
そして鷹取養巴がどんな人物だったかを調べていると、ちょっとおもしろい話を見つけることができました。
イラストで説明してみたいと思います。
▲ ある日、鷹取養巴の妻がトイレで用を足していると、お尻を冷たい手で触られたような感じがしました。
▲ お尻触られたことが相当ムカついたのか、次の日は短刀を持ってトイレに入りました。
すると、案の定、お尻を触られたような感じがします。
▲ 養巴の妻はその手を掴んで・・・
▲ スパっと切り落としてしまいました。
よくよく調べてみると、その手には水かきがついていて どうやら河童の手であることがわかりました。
そしてその3日後・・・
▲ 養巴の家を訪ねてくるものがあります。
▲ 戸を開けてみると、なんと手を切り落とされた河童がいるではありませんか。
河童は切り落とした手を返してくれと言っています。
▲ 養巴は河童が気持ち悪かったのでしょうか、帰ってくれと言って戸を閉めて追いだそうとします。
しかし、なかなか帰ろうとしません。
▲ ついには「二度と悪いことはしませんから!」と河童らしからぬことを言い出して哀れみを乞う始末。
養巴は「もし手を返したとしても どうすることもできないだろう」と聞くと、河童は切れた手をつなぐと言います。
▲ 養巴は「それじゃあ手は返してやるから、その方法を教えてくれ」と言って、河童に手を返しました。
河童は手の接合方法を教え、傷薬の作り方も教えてくれたのだそうです。
そしてその傷薬の効き目はとてもよかったのだそうです。
チャンチャン
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という話なのですが、この情けない河童がなんとも愛おしくて仕方がありません。
たぶん河童の中でもかなりダメな部類だったのでしょうね。
「3日後」に手を取りに来たという点も泣けます。
手を切られた復讐をするというわけでもなく、3日間 家の前を「どうしようかな~、どうしようかな~」とウロウロして、ついには「返して下さい」と律儀に直談判に行く河童を想像するとカワイイです。
▲ その河童にあえないかなと思いましてテムジンに行ってみましたが、まだ開いていなかったので、
▲ 同じく養巴宅の敷地内であったと思われる隣のうどん屋さんのトイレに行ってみました。
しかし、残念ながら水洗トイレだったためか、河童に合うことはできませんでした。
もしこのあたりで河童を見かけられた方はご一報下さい!
【参考文献】
・鷹取養巴と手を切り取られたカッパ
・古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編)
・福岡藩分限帳集成(海鳥社 福岡地方史研究会 編)