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【千早】千早中央公園にある香椎操車場の陸橋跡

千早中央公園に香椎操車場の陸橋跡がモニュメントとして設置されています。[map addr=”福岡県福岡市東区千早4丁目12”]
▲ 場所はこちら。

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▲ 千早駅周辺、こんなに近代的な街になっていたんですね。ちょっとびっくり!

操車場跡地に高層マンションが建っているということは耳にしていましたが、ここまで発展していたとは。

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▲ こちらが千早中央公園。かなりキレイな公園で、グランドゴルフ(?)を楽しむ人、親子連れ、散歩をする人などで賑わっていました。爽やかな場所ですね。

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▲ で、公園内にはこんなものが。

藤棚っぽい屋根が不思議な形。橋?

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▲ あと、このような謎の出っ張りも。

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▲ これは一体何なのか・・・。

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▲ そしてこんなものも発見。

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▲ よく見るとプレートがついていました。

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▲ 横にあった案内板にはこう書かれていました。

千早中央公園は香椎副都心土地区画整理事業地内の香椎操車場跡地に整備されました。

香椎操車場は昭和34年に貨物専門の操車場として開設されましたが、その操車場と鹿児島本線・西鉄宮地岳線を横断して千早と若宮方面を結んだ高架橋が「千早陸橋」と呼ばれた5連のワーレントラス橋で、このモニュメントはその陸橋の一部を活用し、製作したものです。

香椎操車場には博多・吉塚地区の貨物取り扱い設備が集約され、昭和30年代から高度経済成長に至る福博のまちの産業発展に大きな役割を果たし、その操車場とともに陸橋も線路を挟んだ東西のまちをつなぐことで人々の生活に欠かせないものとして利用されてきました。

そんな操車場と陸橋も時代とともに果たす役割も終わり、昭和59年には操車場の使用停止、平成16年には区画整理事業に伴い陸橋も撤去されました。

現在は当時の記憶を残すものはほとんどありませんが、このモニュメントはかつての操車場と陸橋を思い起こす「都市の記憶」としてこの千早中央公園の中に残すものです。

へぇ〜!ここに線路をまたぐ陸橋があったんですね!それは知らなかった。

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▲ この謎の出っ張りは操車場のレールの車止めを表していたんですね。

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▲ 案内板には陸橋の写真も載っていましたが・・・・ものすごく渋滞している・・・。幅の狭い陸橋だったんですね・・・。

平成16年に撤去されたとのことですので、「そうそう!ここ渋滞していたんだよね!」という記憶がある方も多いことでしょうね。知っている人、教えてください!

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▲ 区画整理着工時の航空写真。まだ鉄橋がありますね。

こうやって見てみると、巨大な操車場をあの細い陸橋だけでやりくりしていたらそりゃ渋滞するよ・・・という感じですね。

陸橋を使わなかったらとんでもない遠回りをすることになりますし。

日常的に使っていた人は渋滞で困っていたけど今となっては懐かしいという気分でしょうね。

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▲ こうやって一部だけを残しておくというのも、旧来の記憶を留める取り組みとして良いことかもしれませんね。

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ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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