【千早】続・千早中央公園にある香椎操車場の陸橋跡
先日記事にした千早中央公園にある香椎操車場の陸橋跡について予想以上の反響がありました。前回の記事はこちら→千早中央公園にある香椎操車場の陸橋跡
http://y-ta.net/kashii-sousyajyo-bridge/
せっかくいろんな情報を頂きましたのでちょっとまとめてみたいと思います。
facebookのコメント、Twitter、フォームからのご連絡、色々と教えていただいた方、ありがとうございました。
▲ 前回の記事の内容をざっくりと整理すると、
・現在の千早周辺は操車場跡地で高層マンションがたくさん作られている
・千早中央公園に不思議なモニュメントがある
・そのモニュメントはこの場所にかつてあった陸橋の一部を残したもの
という内容です。
普段、陸橋を使用していた人も多かったようで「懐かしい!」「渋滞がすごかった」などの反響が多数ありました。
▲ まず、こちらの出っ張り。
これは香椎操車場にあった第3種車止めと線路をモニュメントにした物だろうということ。
この車止めはたくさん設置されていて、貨物列車も多数見えていたのだとか。
▲ そしてこの陸橋。
やはり、幅が狭く車幅感覚を取るのにヒヤヒヤしたという声が多かったです。
大型トラックが迷い込んでいて機動隊の方が誘導していたとの情報も。
また、消防車が通れず遠回りしていく必要があったのですが、線路が高架化していなかったため開かずの踏切状態で到着が遅れていたのだとか。
そして陸橋の渋滞は相当なものだったそうで、特に北側(国道3号線側)が慢性的に渋滞していたそうです。
原因は陸橋に至るまでの道が直角にカーブしていて、しかも坂道だったことからカオスな状態が発生していたそうです。
操車場が更地になった跡も、しばらく陸橋だけがぽつんと残っていて印象的だったという声も。
陸橋は段階的に撤去されたそうで、5連の橋のうち、2連ぐらいはしばらく残ったままだったという目撃情報もありました。
▲ あと、千早駅は元々、名香野(なかの)駅だったんですね。
僕が福岡に来た時にはすでに千早駅だったので知りませんでした。
Wikipedia千早駅によると、
西日本鉄道
1951年(昭和26年)6月15日 – 名香野(なかの)駅として開業。
1959年(昭和34年) – 駅舎改築。
2004年(平成16年)8月2日 – 高架化に伴い移転し西鉄千早駅に改称。当初の予定では8月1日営業開始だったが、台風接近のため2日に延期した。
とのこと。
▲ こういうのが一つ残っているだけでいろんな思い出や情報が共有できていいものですね。