【福岡市】享保の大飢饉の犠牲者を供養する川端飢人地蔵尊
投稿日: | カテゴリー:寺社仏閣
中洲に川端飢人地蔵尊があります。
▲ 川端飢人地蔵尊は享保の大飢饉の犠牲者を供養するために建てられたもので今でも近隣の人達によって供養が続けられています。
▲ 享保の大飢饉は享保17年(1732年)に発生した飢饉で、特に九州・中国・四国での被害が甚大でした。
冷夏とそれによる害虫の大量発生が原因と言われていて、福岡では人口の約1/3の人が犠牲となったとされています。
博多や福岡城下にお救い米や炊き出しを頼って来た人が この近辺で多数行き倒れになっていたそうで、その人達を供養するために建てられたとされています。
「ちくしの散歩 飢えとのたたかい」のページによると享保の大飢饉の犠牲者を供養する地蔵は川端飢人地蔵尊の他に福岡市内だけでも↓これだけ建てられているそうです。
【福岡市西区】上原の六地蔵、今宿・徳正寺の地蔵、東松原の地蔵堂
【同市早良区】祖原・顕乗寺の地蔵堂、西の地蔵、野芥の地蔵
【同市中央区】桜坂の地蔵、大手門・浄念寺の供養塔、地行・圓徳寺の地蔵
【同市博多区】萬行寺の无縁塔・餓死塔、大浜の供養塔、栄町の地蔵堂、東中州の地蔵堂
【同市東区】箱崎一光寺の供養塔
【大野城市】乙金の枯骨塔、山田・慶伝寺の倶会一処塔
こんなにたくさんの地蔵が建てられるということは それほど被害が大きかったということなのでしょう。
▲ この享保の大飢饉を機に食料を備蓄するという考えが浸透し、米以外のさつまいもなどの穀物が作られるようになったのだそうです。
【参考文献】
・ちくしの散歩 飢えとのたたかい
・【江戸】福岡藩に於ける享保の大飢饉
・Wikipedia 享保の大飢饉