【福岡市中央区】警固・今泉で昔の川の痕跡探し
福岡市中央区の警固・今泉周辺は江戸時代頃には複数の川が流れていました。
▲ 現在の地図では川らしきものは見当たりませんが、
▲ 幕末頃の古地図をみてみると、複数の川があったことがわかります。(※ 地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み」【海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編】より引用)
▲ 現在の地図に昔 川だったところを描いてみるとこのようになります。
▲ まず、こちらは国体道路です。このブログをご覧頂いている方には国体道路が川だったことはおなじみですね。
国体道路が川だったことを示す痕跡は警固神社のところにあります。
▲ 警固神社は国体道路と比較すると 70〜80cm ほど高くなっています。
これは国体道路が昔 川だったためだと考えられます。
筑前国続風土記の警固神社を確認してみると(こちらの4ページ目)現在の国体道路の場所に「川上」「川下」と書かれていて、この場所に川が流れていたことがはっきり記されています。
▲ 次にこの範囲を調べてみます。
▲ 国体道路沿いにある、警固のブックオフから一本横の道です。
▲ まっすぐ進んでいくと、微妙に食い違った交差点にあたります。ここから川は西方向に曲がっていました。
▲ 旧河川伝いにず〜っと進んでいくと、この場所に痕跡が残っています。
▲ このような古そうな石垣が残されています!そして案の定、道よりも 1m ほど高くなっています。
まさに川があったことを示す痕跡です。
▲ 今度はここを調査してみましょう。
▲ ベローチェ横のこの小道です。ここは川だったのですね。
この道をひたすらまっすぐ、300m ほど進んでいくと・・・
▲ ありました!古い石垣が残っていました。
やっぱりここも道よりも高くなっていますね。
▲ もう少し進むと、V字にカーブしている部分があります。
旧河川もV時にカーブしていたようです。
V時に沿って 100m ほど進むと・・・
▲ ここにも石垣が!お決まりのように道よりも1段高くなっています。
ちなみにこの場所は今は駐車場になっていますが、もともとは現在 天神1丁目にある水鏡天満宮があった場所です。
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旧河川沿いに痕跡を探してみると色々と見つかるものですね。
他の昔 川だった場所も また調査してみたいと思います。
【参考文献】
・古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編)
・筑前国続風土記