【福岡市】警固小学校横に残る紀元二千六百年記念行事の碑
投稿日: | カテゴリー:街散歩
警固小学校の横に昔使われていたと思われる門の跡が残っています。
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▲ 場所はこちら。国体道路から少し脇に入った場所にあります。
▲ その門の跡の横に「薬院原ノ町」と書かれた碑があります。
▲ 古い地図で調べてみると、この辺りの旧町名は「原町(はらのまち)」となっていました。
▲ 側面には「昭和十五年十二月」と書かれ、
▲ その裏には「皇紀二千六百年記念」と書かれています。
昭和15年(1940年)は初代天皇である神武天皇が即位してから2600年にあたる年として各地で色々な祭りやイベントが開催されたそうです。
日本政府は、日本が長い歴史を持つ偉大な国であることを内外に示し、また日中戦争の長期化とそれに伴う物資統制による銃後の国民生活の窮乏や疲弊感を、様々な祭りや行事への参加で晴らそうとしたこともあり、1940年には、年初の橿原神宮の初詣ラジオ中継に始まり、紀元節には全国11万もの神社において大祭が行われ、展覧会、体育大会など様々な記念行事が外地を含む全国各地で催された。(Wikipedia 紀元二千六百年記念行事より引用)
このような記念碑は各地の神社や公園などに残っています。
▲ また、記念章や切手・絵葉書も蚤の市などでよく見かけます。
▲ あとは歌も出されたようです。
一時はお祝いムードで盛り上がったようですが、
行事終了後に一斉に貼られた大政翼賛会のポスター「祝ひ終つた さあ働かう!」の標語の如く、これを境に再び引き締めに転じ、その後戦時下の国民生活はますます厳しさを増していくことになる。(Wikipedia 紀元二千六百年記念行事より引用)
とのことで、やはり戦時下の生活は厳しかったようです。
【参考文献】
・Wikipedia 紀元二千六百年記念行事
紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム (朝日選書)
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