古門戸町の「倉」
投稿日: | カテゴリー:街散歩
古門戸町の「倉」
他県の人のイメージする「博多」は那珂川の下流から見た夜景や、屋台でにぎわう中洲の雑踏かもしれない。
しかし、古くからある実際の博多、いわゆる「博多部」の町並みというのは、碁盤目状に整備された道の中に住宅やオフィス・店舗が無秩序に建ち並んでいるというものであり、他県の人がイメージする博多とはおおよそ異なる。
博多の北西部分に位置する古門戸町もその典型のような町である。新しいもの、古いもの、高い建物、低い建物がランダムに入り乱れ、ある意味で博多らしい、飾らない普段着の博多といった町並みだ。
それは何も今に始まった話ではなく、江戸時代後期の古地図を確認してみても、道筋こそ碁盤の目状に整っているものの、あらゆるものがカオティックに乱立しているように見える。
古門戸町の一部は旧町名を「倉所町」といった。「倉」とは福岡藩の支藩秋月藩の倉であり、古地図には「秋月御蔵本」と記載されている。秋月藩は藩米を博多の倉所に貯蔵し大阪に運び出していた。
明治維新後も秋月藩の藩士は倉所町にそのまま居住した。一度、倉所町が隣の妙楽寺町に併合されたことがあった。しかし、博多の町人との折り合いが悪く再び妙楽寺町から倉所町が独立したのだそうだ。
その後、倉の跡地は小学校となり、時代を経た現在ではマンションなどが建ち並ぶ地域になっている。
倉があった古門戸町9-9付近の駐車場の一角に秋四郎神社という小さな神社が建っている。
祀られているのは秋月藩の藩祖黒田長興だ。
倉所町という町名は消滅したが、この秋四郎神社だけは、かつて秋月藩の施設があった記憶を今でもこの地に留めている。