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【舞鶴】旧濱ノ町(現在の舞鶴3丁目)にあった黒田家の別邸

旧濱ノ町(舞鶴3丁目)にある福岡法務局付近はかつて黒田家の別邸があった場所です。

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▲ 場所はこちら。

濱ノ町にあった黒田家の別邸については以前に「旧浜町にあった黒田家の別邸」という記事でも紹介しましたが、今回「絵葉書研究会」という私が参加している会で別邸の写真を譲ってもらいましたので改めて詳しく紹介してみたいと思います。

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▲ 黒田家の別邸があった場所は現在、法務局やコインパーキング、福岡市消防局などが建っています。

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▲ 福岡市消防局の横には「黒田家濱町別邸跡」と書かれた碑があります。

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▲ 古地図で濱町を確認すると福岡藩の上級家臣の「下やしき」と書かれています。(上部の中央部分)(※ 地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み」【海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編】より引用)

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▲ 明治初期、福岡藩は藩ぐるみでニセ札製造に手を染め、それが発覚したことで黒田家は実質上 お家取り潰しとなり城から出ることになるのですが、濱ノ町にあった上級藩士の別邸を黒田家の別邸とし宝物類を移動させました。

ここに別邸を持っていた上級藩士の多くがニセ札製造事件の首謀者として処刑・遠島を受けており、おそらくこの別邸が空き家となっていたために黒田家が使ったのではないかと思われます。

その後、福岡城跡は陸軍の施設となりますが、明治後期〜大正時代にかけて黒田家の菩提寺であった崇福寺が中心となって福岡城内にある櫓(やぐら)や門を保存するために払い下げを申請し、それが受理されて崇福寺内や濱ノ町の黒田家別邸に櫓(やぐら)や門が移設されました。

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▲ 濱ノ町の黒田家別邸には本丸裏御門、武具櫓、潮見櫓が移設されました。写真に右側に写っている立派な建物は武具櫓です。武具櫓はその名の通り弓矢、槍、甲冑、馬具、銃器類などの武具を収めておくための櫓で福岡城の本丸にあったものです。

本丸裏御門、武具櫓は太平洋戦争時の福岡大空襲で焼失し、奇跡的に残った潮見櫓は戦後 福岡城に戻されることとなりました。


▲ もともと潮見櫓があった場所は当時米軍に接収されていて戻すことができなかったため下ノ橋御門横に移設され、現在もその場所に建っています。

ただし、この潮見櫓は1991年(平成3年)の調査で太鼓櫓である可能性が高まったため近年は「(伝)潮見櫓」と呼ばれています。

関連記事:福岡城に現存している建物まとめ

【参考文献】
古写真で読み解く福岡城/後藤 仁公 海鳥社

【参考サイト】
福岡市の旧町名“ハマノマチ”に、黒田家の別邸があったと聞いたがどのあたりか?“ハマノマチ”の由来や、別邸について書かれた資料も見たい。



Y氏(山田全自動)
Y氏(山田全自動)
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福岡でブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など

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