【福岡の絵葉書】旧海岸線にあった黒瀬神社
西公園の北側に黒瀬神社という神社があります。
▲ 西公園の最北端部分にあり、住宅街に面した土地にあります。
▲ 神社内の案内看板にはこうありました。
享保17(1732)年、「享保の大飢饉」が西日本一帯を襲い、農作物はできず、漁業も不漁続き、加えて疫病が発生し、食べるものは無く、筑前の国では当時の人口の3分の1が飢饉で亡くなりました。
「黒瀬神社」は、この大飢饉から人々を救うため建てられた神社で、伊勢神宮の外宮から「宇迦之魂神(五穀の神)」をお迎えして祭神とし、元々この地にあった「竈神社」を合祀したものです。
黒瀬神社の境内には多くの末社がありますが、これらは、大正10年と昭和7年の2回にわたり、西公園一帯にあったものをこの地に集めて祀ったものです。
下の絵葉書は、大正8年頃のもので西公園の北側斜面の海岸沿いに建てられた黒瀬神社の様子が伺えます。この周辺昭和30年代の埋め立てにより、景観は一変しました。
昔は海岸線ぎりぎりの場所にあったのですね。
▲ 古い写真を確認してみると、今とぜんぜん景色が違っています。昭和30年代に埋め立てられるまでは神社の前の道がまさに海岸だったことがわかります。
▲ 社務所(?)の説明には漁師やその家族が参拝に訪れていた事が書かれていました。
▲ 小さめの神社ですが、古い地図にも必ずといっていいほど記されています。
▲ 地図上では省略されている神社も多いのですが、黒瀬神社は省略されている事が少ないので、海の交通が今より反映していた頃はさらに重要視されていたのでしょうね。
▲ 黒瀬神社は管理人さんが勉強熱心な方のようで色んな資料が展示されていました。
▲ こんな古地図なども見ることができて興味深いです。
本や博物館で調べるのではなく、実際にその場所で今いる所の歴史を知れるというのは大変面白いものです。
海鳥社
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