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【香椎】香椎宮頓宮にある三条実美の書による万葉歌碑

香椎宮から少し離れた場所にある香椎宮頓宮に三条実美の書による万葉歌碑があります。


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▲ 香椎駅から香椎宮参道を歩いていると右手側に少し小高くなった場所があります。

坂道を少し進むと鳥居が見えます。


▲ ここには香椎宮頓宮があります。

春季氏子大祭の時には香椎宮と頓宮の間を氏子が練り歩くそうです。

また、かつては香椎宮浜殿と呼ばれていたとのことです。


▲ 香椎宮頓宮の境内にこのような石碑が建っています。


▲ 案内看板には、

明治21年に建立された、三条実美の筆によるこの万葉歌碑の碑面には、神亀5年(728年)太宰卿 大伴旅人が香椎廟参詣の際に詠んだ「いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さへねれて朝菜摘みてむ」のほか、大弐 小野老の「時つ風吹くべくなりぬ香椎潟潮干の浦に玉藻刈りてな」、豊前守 宇努首男人「往き帰り常にわが見し香椎潟明日ゆ後には見む縁もなし」の和歌が万葉仮名で刻まれている。昭和初期までは、この丘のふもとまで波が打ち寄せ、丘上からは、まだ潮干狩りのできる遠浅の磯浜を見渡すことができた。

と書かれていました。

香椎宮頓宮がかつては香椎宮浜殿と呼ばれていたのはこの場所のすぐそばに海があったからなのですね。

万葉歌碑(香椎潟)よりそれぞれの口語訳を引用すると、

「いざ子ども 香椎の潟に 白妙の 袖さえぬれて 朝菜摘みてむ」(大伴旅人)
さあみんな、香椎潟で着物の袖までぬらして朝餉の海藻をつもう。

「時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟 潮干の浦に 玉藻刈てな」(小野老)
風が吹きそうになった。香椎潟の潮干の浦で、海藻を刈ろう。 

「往き還り 常にわが見し 香椎潟 明日ゆ後には 見む縁も無し」(宇努首男人)
大宰府の生き返りにいつも見ていた香椎潟だが、(都に帰るので)明日からは見ることもありません。

という内容の歌のようです。

また、県内で最も古い万葉歌碑なのだそうです。


▲ あと、この場所からは鹿児島本線の線路がよく見えますので電車撮影スポットの穴場かもしれません。

【参考サイト】
万葉歌碑(香椎潟)

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Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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