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マリリン・モンローの福岡での足跡をたどる

1954年(昭和29年)2月1日〜25日の約一ヶ月間、マリリン・モンローは新婚旅行で日本を訪れており、2月8日〜10日の間、福岡にも滞在しています。

福岡滞在は3日間と短いものでしたが、衝撃的なできごとだったようで福岡の昭和史をみていると必ずと言っていいほど書かれています。

そんなわけで今回はマリリン・モンローの福岡での足跡を辿ってみたいと思います。

板付空港(福岡空港)到着

2月8日 午後7時30分、マリリン・モンローと、夫で野球選手のジョー・ディマジオは板付空港に到着しました。

↓ その時の様子がこちらの写真。(※ Life and Culture Vol.3 マリリンモンロー と ジョーディマジオ より)
http://livedoor.blogimg.jp/shiro200603/imgs/6/e/6eb3f3b5.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/shiro200603/imgs/0/6/0657393e.jpg

マリリン・モンローは黒いセットアップに黒いベレー帽をかぶっています。

2人とも非常にリラックスした様子です。

東中洲の国際ホテルへ


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▲ 2人はそのまま東中洲の国際ホテルへむかいます。

▲ 国際ホテルは現在のアクア博多の場所にありました。

↓ 当時の様子はこのような感じ。(※ 碧眼が撮ったフクオカ、1950 より)
http://museum.city.fukuoka.jp/je/image/341-350/345/ph04.jpg

▲ 左側の白い小さめの建物が国際ホテルです。

ホテルの周囲には500人ものファンが訪れていたそうです。

↓ マリリン・モンローは窓からカーネーションを投げるというファンサービスを行いました。その時の様子がこちら(※ 福岡にモンロー旋風 西日本新聞フォトサービス より)
http://photo.nishinippon.co.jp/shopimages/2362/0020000000212.jpg

▲ 既に明るくなっていることや、白い服に着替えていることからおそらくこちらは翌朝の写真かと思われます。

ホテルの外観カーネーションを投げる写真を比較してみると、窓の形や場所が一致していますね。

▲ 上記の写真からマリリン・モンローがカーネーションを投げた位置を推測すると、おおよそこのあたり。

約60年も前のことですが、この場所にマリリン・モンローがいたと思うとちょっとびっくりです。

ロイヤル中洲本店で食事

二人はお忍びでロイヤル中洲本店に訪れています。

ロイヤル中洲本店はロイヤルホストの前身となった店舗です。

ファミレスとは意外と庶民的?と思ってしまいますが、当時のロイヤルは下記の写真のような高級店だったようです。(※ 大濠公園ボートハウス より)
http://www.oohoriboathouse.jp/wp-content/themes/boathouse_theme/image/concept_p01.jpg

▲ ロイヤル中洲本店の場所はホテルから道を挟んだ向かい側のこの辺り。

中洲大洋横の「大洋ビル」の1階と2階にありました。

↓ 店舗で食事する二人の様子。(※ 未来への羅針盤 Episode56 モンローの投げキッス、博多に舞う より)
http://www.kbc.co.jp/whatsnew/rashinban/img/whatsnew14383450974d3f81da9209c.jpg

マリリン・モンローはロイヤルのオニオングラタンスープを気に入ったようで、3日間連続で通ったそうです。

▲ ちなみに、ロイヤル中洲本店はその後「花の木」と名前を変え、さらに大濠公園内に移転しました。

そのため、花の木ではオニオングラタンスープが名物となっていました。

「いました」と書いたのは、花の木は2013年5月で閉店となってしまったためです。

もうすぐ建物も解体されるそうで、ちょうど引越し業者が来て荷物を搬出しているところでした。

※2016年2月16日追記:花の木はリニューアルオープンしています。「Room1953」にマリリンモンローが使った机があるそうです。

西戸崎米軍キャンプへ慰問

マリリン・モンローの日本への訪問は新婚旅行とはいうものの、実際はジョー・ディマジオの日本プロ野球選手への
技術指導のためという目的がほとんどで、福岡においても観光地などには一切訪れていません。

ジョー・ディマジオは福岡滞在中は香椎球場に行っており、マリリン・モンローは西戸崎にあった米軍キャンプへ一人で慰問に訪れています。

▲ ちなみに西戸崎には米軍キャンプの痕跡が各所に残っています。これはまた別の機会に。。。

熊日写真ライブラリーというサイトで西戸崎訪問時の写真が見れます。
写真はこちらをクリック

▲ 黒いベレー帽がお気に入りだったようで、福岡での写真は全てこの帽子をかぶって写っています。

マリリン・モンローは一人で海ノ中道のドライブを楽しんだという記録も残っています。

おそらく福岡での滞在中は3日とも同じような日程だったのではないかと思われます。

一応、新婚旅行であるにも関わらずほとんどの時間を別々に過ごしたようです。

その後、朝鮮へ

福岡を発って、さらに数日間各地を転々とした後、朝鮮戦争で駐留していた在韓米軍を慰問してほしいという依頼があり、マリリン・モンローは一人で朝鮮へむかいました。

ジョー・ディマジオは朝鮮行きを反対したそうですが、それを振り切るように夫を日本に残して朝鮮へ行ったと言われています。

マリリン・モンローからすれば、どうせ野球の指導で一緒に過ごせないならば同じ事と考えたのかもしれません。

二人は結局1955年9月に離婚しています。

入籍してからたったの9ヶ月後のことでした。

福岡での2人の行動を見ているだけでも、すれ違いの日々だった感は否めません。

福岡に訪れた時点で、既にその予兆があったのかもしれませんね。

【参考資料】
Life and Culture Vol.3 マリリンモンロー と ジョーディマジオ
碧眼が撮ったフクオカ、1950
福岡にモンロー旋風 西日本新聞フォトサービス
大濠公園ボートハウス
未来への羅針盤 Episode56 モンローの投げキッス、博多に舞う
熊日写真ライブラリー
マリリン・モンロー ジョー・ディマジオ来日(新婚旅行)の日程
Wikipedia マリリン・モンロー

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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