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福岡市中央区の「港(みなと)」をタイムトラベル

船着場、造船所や工場などが密集する福岡市中央区の「港(みなと)」地域。


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最近ではおしゃれなカフェなども増えてきて活性化している感のある場所です。

この場所の歴史は非常に古く、西暦600年代まで記録をさかのぼることができます。

さまざまな資料が残されていますので、古地図や絵図などを使い、現在から順を追ってタイムスリップしてみたいと思います。

2013年


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▲ こちらは現在の港周辺の様子。

▲ 特徴的なのはこちらのかもめ広場の部分。

ここは1999年に埋め立てられて作られた場所です。

1983年

▲ かもめ広場がまだできる前の1983年ごろの様子。(※写真は「ふるさと飛行 福岡県航空写真集(1983年 西日本新聞社 発行)」より)

かもめ広場がありませんので港の海岸線が縦にまっすぐですね。

1961年

▲ こちらは1961年の地図。(※地図は「昭和23年、昭和36年の福岡と現在の福岡(塔文社 レトロマップシリーズ5)」より)

▲ この部分がまだ埋め立てられていません。よく見るとちょろっと防波堤のようなものがあったようですね。

1948年

▲ 戦後間もないころの様子。北側部分はまだ ぜんぜん埋め立てられていませんね!(※地図は「昭和23年、昭和36年の福岡と現在の福岡(塔文社 レトロマップシリーズ5)」より)

▲ そして湾内も もう少し入り込んだ形になっていたようです。

これ以前の大正→明治はこの時代とほとんど変わらない形ですので江戸時代まで一気にさかのぼってみます。

1800年ごろ

▲ と言っても江戸時代もけっこう似たような形になっています。(※ 地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み」【海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編】より)

▲ 船がたくさん停泊しているのは現在と変わりませんが、この時代は福岡藩の軍艦が置かれていたそうです。

左側には鉄砲の倉などもあることから、この場所は軍港であったものと思われます。

右側にある灯籠はおそらく灯台のような役割をしていたのではないかと思います。

現在でも残っている住吉神社(博多の住吉神社とは別物)もこの時期からすでに描かれています。

▲ 別の絵図を見ると、軍艦が何十艘も連れ立って帰港している様子が描かれています。(※絵図は西公園案内看板より)

1600年ごろ

▲ さらに200年さかのぼった1600年頃の様子。こちらは北側から見た様子です。(※絵図はおみやげ物のポストカードより)

▲ まだ赤色で示したでっぱり部分がなく、堤防が一直線に伸びたような状態になっています。

しかし、すでに船着場として栄えていたようですね。

1200年〜1300年頃

▲ 鎌倉時代をあらわした古地図です。(→拡大して確認する)(※地図は呉服町駅近くの案内看板より)

現在の「港」はどこにあるか わかりますか??

▲ 荒津山と書かれたこの部分。ここが現在の西公園になります。

ですので、この東側沿岸が「港」周辺です。

600年頃

▲ 絵図としての記録が残っていませんのでCG映像になります。(※鴻臚館展示室CG映像より)

600年頃、まだ鴻臚館(現在の平和台運動場あたり)があった頃の想像図です。南から北を見た様子です。

▲ 洲になっていて、先端がポコッと山のようになっている場所がありますね。

ここが現在の西公園です。

▲ 別の想像図。(※鴻臚館展案内看板より)

▲ この場所に港があって、中国や朝鮮の使者たちが やってきていたのだそうです。

鴻臚館は日本の外国交流の窓口です。

京都に行きたい場合でも、まずここに立ち寄ってから行かなければならない決まりがありました。

そんな超重要拠点が「港」地域にあったのかと思うとなかなか感慨深いものがありますね。

【参考文献リスト】
・ふるさと飛行 福岡県航空写真集(1983年 西日本新聞社 発行)
・昭和23年、昭和36年の福岡と現在の福岡(塔文社 レトロマップシリーズ5)
・古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編)
・西公園案内看板
・鴻臚館展示室展示物

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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