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【福岡市】母里太兵衛邸長屋門は母里太兵衛のものではなかった?!

天神の野村證券福岡支部の前に母里太兵衛屋敷跡の碑が建てられています。


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▲ 碑には

この地は黒田二十四騎のひとり、母里太兵衛(母里但馬友信)の下屋敷跡である。母里太兵衛は勇猛かつ思慮に富む武将であると同時に無類の酒豪であり、秀吉配下の福島正則に酒を強いられ升余の朱杯を呑みほし、ついに正則秘蔵の名槍「日本号」を得たことはよく知られている。

と書かれています。


▲ 野村證券福岡支部の場所を江戸時代の古地図で確認してみると、母里太兵衛の子孫である毛利太次右衛門の名前があります。(※古地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(宮崎克則・福岡アーカイブ研究会 /海鳥社)」より)


▲ そして福岡城内には野村證券福岡支部の場所にあった長屋門が移築されています。


▲ 長屋門の案内看板には

現在の天神二丁目の野村證券株式会社の地は、母里太兵衛の当時の屋敷で、この長屋門はそこに構えられていた。武家屋敷長屋門として代表的なこの江戸時代の優れた建造物を末永く保存していくため、昭和三十一年に県の文化財に指定され、同四十年にこの地に移築されたもので、今もなお往時の姿を伝えている。

と書かれていました。


▲ 古地図に描かれている家紋と長屋門の屋根瓦のマークが同じでちょっと嬉しい!(謎)

しかし、「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(宮崎克則・福岡アーカイブ研究会 /海鳥社)」にはこう書かれていました。

母里太兵衛が三ノ丸に住んでいた江戸時代の初め、図2の屋敷(追記:野村證券の場所にあった屋敷のこと)は彼の下屋敷でなく、立花氏の屋敷であった。(中略)重臣の下屋敷は浜手や群地などにあり、天神町にはなかった。他の記録も検討した結果、城内の長屋門の説明板にある記述は誤りで、正確には「母里太兵衛の子孫たちが住んだ屋敷の長屋門」とすべきであろう。

なるほど、母里太兵衛はもともと城内の三ノ丸に住んでいて、子孫が天神に移り住み、その場所に建てられた門だったのですね。


▲ しかし、母里太兵衛”ゆかりの”ものであることは確かなので、いずれにしても貴重なものですね。

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【こぼればなし】

ちなみに、長屋門の裏側はこうなっています。意外とシンプルな造り?!もともとこういう感じだったのでしょうかね??

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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