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名島城のなごりを古地図を見ながら調べてみた

名島城は福岡市東区の名島近辺にあった城です。


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▲ 地図で言うとこの一帯です。

名島城は1500年代終盤から1600年代のごく初期まで使用されていた城です。

福岡城の築城前に使用されていた城ですが、水害が多かったことや利便性の面から現在の場所に移築されたと言われています。

▲ 本丸跡は今は公園として整備されています。

▲ ごくわずかにその痕跡を残すのみで、ここに城があったとは思えないような状態になっています。

▲ 土塁が一部 残ってはいますが、石垣などは ほとんどが福岡城を建築するための資材として使用されたために残っていないと言われています。

▲ ちなみに平和台陸上競技場から舞鶴公園に向かうところにある「名島門」はこの名島城で使用されていた門だと言われています。

▲ そして、名島城の古地図がこちら。(※ 古地図は名島城案内看板より)

「筑前国続風土記」という文書に掲載されている地図です。

▲ 現在の地図に当てはめてみると、おおよそこのような感じかと思われます。

古地図に描かれている城の輪郭と現在の道筋が一致する部分が多く、おもしろいです。

▲ 特に、この三の丸周辺の丸みを帯びた形が現在もそのまま残っていることがわかります。

▲ そして、ここに建っている団地の名前も「三の丸団地」。

▲ この辺りの道筋を確認してみると・・・

▲ 実際に丸みを帯びた道筋で、このへんは1600年頃からまったく変わっていないんだなぁ と思うと ちょっと感動します。

▲ そしてこのお堀部分がどうなっているか見てみると・・・

▲ こちらも一致する部分が多く、おもしろいです。

▲ 古地図のこのラインを現在の地図で確認してみると・・・

▲ ちゃんと道があります。

▲ 三の丸米穀店(三の丸商店)の横のこの道です。

上の写真で言うと道の左側は堀の中だったのですね。

▲ ここの道はどうなっているでしょうか。

▲ キレイに曲線を描いた小道が残っていました。

▲ しかも道の名前が「潮汲み道(しおくみみち)」。

まさに この部分に海水を含んだ堀があったことを示しています。おもしろいです。

▲ そしてこの畑。

▲ こちらは雑木林のような形で残っているようですね。

▲ この出っ張り部分を確認してみると・・・

▲ こちらもちゃんとありますね。

この出っ張りはお城独特の構造で「横矢掛り」と言われている防衛システムです。

福岡市中央区の大名にもよく見られます。

▲ 現在は幼稚園が立てられているこの部分です。

▲ 側面部分も曲線を描いたラインになっていて、いかにもという感じです。

▲ さらに、幼稚園の前の道は このような稲妻型の道筋になっていて、お城独特の構造を見ることができます。

名島城の痕跡ははっきりとした「コレ!」というものは ほとんどないのですが、古地図に照らし合わせながら よ〜く探してみるとチラチラとそのなごりを見つけることができました。

そのほかにも城下を思わせる構造がありそうなので、今度じっくりと探してみたいと思います。

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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