【福岡市】福岡藩の薬用人参を作っていた人参畑
投稿日: | カテゴリー:街散歩
住吉通りの博多駅近くに「人参畑塾跡」と書かれた碑があります。
この場所にはかつて高場乱(たかばおさむ)という女性儒学者の開いた塾があった場所だそうです。
Wikipediaの高場乱によると
筑前国博多瓦町の眼科医・高場正山の末子として生まれる。高場家は代々眼科医の名門で福岡藩の藩医を努めていたが、幼名の「養命」からうかがえるように、乱は男として育てられた。天保12年(1841年)、10歳で(男として)元服。
とのことで、女性でありながら男性のように育ったのだそうです。
女性の儒学者が福岡にいたとは知らなかった!
立花誾千代(たちばなぎんちよ)といい、福岡にはパワフルウーマンが多いですね!(参考 → 戦国末期、福岡に女性の殿様がいた!)
▲ この人参畑塾があった場所は旧町名がそのまま「人参畑」だったようです。
ちょっと面白い地名ですね。
もともとは江戸時代に福岡藩用の薬用人参を作っていた場所で、そのまま地名が人参畑となったのだそうです。
▲ 色々な著名人を排出した塾のようですが、かつてここにはどんな景色が広がっていたのでしょうかね?
【参考文献】
・『高場乱(たかば おさむ)の「人参畑塾跡」発見』
・Wikipedia高場乱