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【直方】かつて炭鉱で栄えた直方のレトロな街並みを歩く

炭鉱の石炭の集積地として栄えた直方にはかつての繁栄を思わせるレトロな街並みが広がっています。DSC04570
▲ 直方駅は筑豊地区の石炭を集積する拠点になっていた駅です。

2011年に解体された旧駅舎は初代博多駅の資材が使われていて、かなりレトロな作りでした。※本当に初代博多駅の資材であるかは諸説あります。

解体の際には歴史的な建物を壊さないでほしいという反対運動もあったようですが、結局リニューアルという形で落ち着いたようで、現在はキレイで頑丈そうな駅舎に生まれ変わっています。

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▲ 駅の目の前には直方出身の元大関の魁皇の銅像が。福北ゆたか線の特急「かいおう」も魁皇関が由来になっています。地元のヒーロー的存在ですね。

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▲ ピカピカの駅舎から振り返ると、早速レトロな物件が。西鉄直方バスセンターです。

なかなか年季が入っていて昭和を感じますね。

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▲ バスセンターの敷地内には何だかすごい形の建物も見つけました。

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▲ 駅から少し歩くと巨大なお寺が見えてきます。

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▲ 外から見える石碑には「貝島鉱業株式会社」の名前が。

貝島鉱業株式会社は筑豊の炭坑王とよばれた貝島太助の会社です。

貝島太助は直方の貧しい農家に生まれ、ほそぼそと炭坑夫をしていましたが、西南戦争の時に石炭の価格が高騰したことで巨万の富を得、麻生家、安川家と並び、筑豊御三家と言われるまでに事業を拡大させた人物です。

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▲ 石碑があったは圓徳寺というお寺。

貝島太助がまだ貧しい農民をしていた頃、この圓徳寺の前に住んでいたらしく、食うに困るような生活をしていた貝島家は圓徳寺から食べ物を恵んでもらっていたそうです。

貝島太助が巨万の富を得た後、その恩を返すため資材を投じてお寺の建て替えを行ったのだとか。

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▲ 先程見えていた「貝島鉱業株式会社」と書かれた碑は「貝島炭鉱遭難者招魂碑」でした。

炭鉱は事故が多く、たくさんの人が犠牲になっていますので、その人達を弔うためにここに招魂碑が建てられているのでしょう。

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▲ お寺から1本横に入った道はアーケード商店街になっていました。

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▲ 古町三番街。何かとレトロで昭和な雰囲気。

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▲ 1980年に撮影しました、と言われても納得してしまいそうな写真。

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▲ 商店街には「成金饅頭」という名前がチラホラ。

成金饅頭は白あんのどら焼きのようなお菓子で直方の銘菓です。

Wikipediaの成金饅頭によると

成金饅頭は投機に失敗したある青年が生み出したとされている。明治時代のこと、日露戦争で物資の値が高騰することを見込んだ青年はうずら豆を大量に買い込んだ。しかしその直後に日露戦争は終結。相場は暴落し、青年は貨車数台分のうずら豆を抱えることとなった。途方に暮れた青年が大量の豆を処分ためにうずら豆から白餡を作り饅頭を製造したところ、好評な売れ行きを博したのが成金饅頭の始まりであるとされている。

とのこと。

成金饅頭といい、貝島太助といい、何かと景気の良い話が多かったようですね。

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▲ レトロ商店街は意外と長さがありますが、やはりどこの地方の商店街もそうであるように、シャッターの閉まっているお店が目立ちます。

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▲ アーケード商店街に突如として現れるモダンな建物。

大正時代に建てられ、旧十七銀行直方支店として使われていたものです。

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▲ 現在は「アートスペース谷尾」というガラス工芸品の展示スペースになっています。

ちなみに旧十七銀行の建物は飯塚にも残っています。→旧十七銀行飯塚支店のレトロな建物
  
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▲ 旧十七銀行から少し歩くと殿町(通称:直方レトロ地区)にたどり着きます。

このエリアにはかつての繁栄を思わせるレトロな建築物がたくさん残っています。

殿町は福岡藩の支藩であった直方藩の藩主や上級家臣団の屋敷があった場所です。

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▲ こちらの建物は讃井医院という病院だったそうですが、現在は向野堅一記念館になっています。

向野堅一は直方出身の実業家で満洲で正隆銀行や満州市場株式会社を設立した人物です。書や歌など芸術家としても才能を発揮したそうです。

讃井病院には犬養毅も訪れたことがあるのだとか。

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▲ こちらは明治時代に建てられたもので江浦医院という病院です。現役の病院です。

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▲ こちらの神殿のような建物は奥野医院という病院だったそうです。現在は直方谷尾美術館になっています。

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▲ 古い和風建築もあります。

手前は創業は明治44年(1911年)創業の石原商店。

奥は前田園茶舗本店。店内も古い道具がたくさんあってレトロ感がすごいです。

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▲ こちらは旧篠原邸。元々旅館だったものが篠原家の所有となり、その後に米屋になったそうです。現在は直方谷尾美術館の収蔵庫になっています。

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▲ 少し裏道に入るとこんな物件も見つけました。

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▲ 直方ビジネスホテル。現在は廃業しているようでした。

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▲ ツタが絡まった姿が諸行無常の響きありです。

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▲ 直方の街並みを一望できる場所にある多賀神社。昔の県社で直方市民から親しまれています。

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▲ 多賀神社の参道は不思議な作りになっていて、途中で線路が横切っていてその上を歩道橋が作られています。

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▲ 壁面のレンガがレトロです。

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▲ 境内には常夜燈や鳥居など様々な場所に「貝島」の名前を見つけることができ、貝島家の影響力の強さを感じます。

その2に続きます。

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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