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【福岡市】江戸時代に作られた御舟入

現在、博多中学校がある場所には江戸時代、「御舟入(おふないり)」と言われる船着場がありました。


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▲ 博多中学校はこちらです。


▲ 博多中学校横に電信柱にこう書かれていました。

江戸初期の古御舟入は、中島町(中洲の先端)にあったが、砂の体積による機能低下によって、博多商人達は、ここに新御舟入を造り千石船を舫った。藩の御用米を大坂、江戸に廻漕、また大坂から物品を積んで、瀬戸内海、日本海を港々で交易しながら遠く陸奥にまで航海した。

昔は中洲中島町5−1(現在の中島町公園)あたりに船着場があったけれども、砂が堆積してきて浅くなったので移動したということのようです。


▲ ちなみに西公園下の福岡港の方にも船が出入りしていたそうですが、福岡港は軍用船が配置されていたのだそうです。博多の方は商用、福岡の方は軍用、という具合に住み分けがされていたのかもしれませんね。(地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(宮崎 克則 著 福岡アーカイブ研究会/海鳥社)」より引用)


▲ 古地図で確認してみると、現在の中島町公園の場所には「古御船入」と書かれていて、その北側の現在の博多中学校の場所に舟が停泊しているのが描かれています。(地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(宮崎 克則 著 福岡アーカイブ研究会/海鳥社)」より引用)


▲ 大正や昭和の地図を確認してみてもまだ船着場らしきものがありましたが、この時には材木置場として使用されていたそうです。

なので、わりと最近まで江戸時代のままの姿をとどめていたのでしょうね。

古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み
宮崎 克則 福岡アーカイブ研究会
海鳥社
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Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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