【福岡市】城南区神松寺の古墳の上にある神社と気になる名前の橋
城南区神松寺に老松神社という神社があります。
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▲ 場所はこちらです。
▲ 住宅の隙間に参道と長い階段が設置されています。
▲ こんもりとした小さな丘で、階段の左右は雑木林になっています。
▲ 登り終わると小さな社殿がひとつだけあります。
▲ 社殿からの眺めは意外と良いです。
▲ 老松神社の案内看板にはこう書かれていました。
平安時代菅原道真が左遷され、京都から大宰府へ赴く途中、この地に立ち寄られたと伝えられている。
鎮座年代は不祥である。現在は薬師堂を残すのみとなっているが、医徳山神松寺が博多承天寺の開祖聖一国師5代の法孫南谷聖◯(「大」の左右に百)和尚によって永享年中(1429~1440)に開基され、神松寺の寺号は天神の「神」と老松の「松」に由来すると云われている。従って、老松神社の創立はそれより更に古代に遡る。
地名も神松寺と称することになった。天文7年(1538)7月3日大宰大弐大内義隆が太府宣を下し、神松寺を大宰府の祈願所とした。
祭神が菅原神(天神)であること、神松寺が大宰府の祈願所であったことなどからであろうが、大宰府天満宮に参るのとどうようの御加護があろと云い伝えられている。
要約すると、
・平安時代に菅原道真が立ち寄った場所
・1400年代に医徳山神松寺というお寺があった
・老松神社は医徳山神松寺よりさらに前にあった
・大宰府の祈願所なので、ここにお参りすると太宰府天満宮に参るのと同様のご加護がある
ということのようです。
道真公 色んな所に立ち寄りすぎ!というぐらい全国各地に菅原道真が立ち寄ったといわれる場所があるのですが、老松神社もそういうエピソードがあるようです。※ちなみに空海が立ち寄ったと言われる場所も全国各地にたくさんあります。
このあたりにあった医徳山神松寺が神松寺という地名になったぐらいなので大きな規模のお寺だったのかもしれません。
いつも散歩するコースということもあり、この神社の事が何となく気になっていたのですが、「福岡歴史探訪〈南区・城南区編〉(柳 猛直 / 海鳥社)」という本を読んでいたら、この老松神社の事が書かれていました。
本にはこう書かれていました。
老松社のある丘の中腹に古墳時代後期の前方後円墳が存在することが確かめられ昭和五十年(一九七五)から発掘調査が行われた。墳丘の全長二〇メートル、後円部は高さ二・二五メートル、径一五メートル。内部の横穴式石室から装身具、武具、馬具、祭祀具などが出土しているが現在、この古墳の跡に地域の集会場「神松寺老松会館」が建っている。
おぉ!老松神社のこの小高い丘は古墳の跡だったんですね!しかもいろんな出土物まであったとは!全然知らなかったです。
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▲ 確かに、航空写真で見てみると、何となく古墳っぽい感じもします。
▲ 古墳と聞くと、この雑木林もなんだか妙に特別な場所のような気がしてきます。
実は、この老松神社の近くにもうひとつ以前から気になっていたものがあります。
▲ それはこの「御陵橋」という橋です。
▲ ホントにごくごく普通のどこにでもあるような小さな橋なのですが、「御陵橋」というなんだかすごそうな響きで気になります。
「御陵」の意味を調べてみると、
皇室典範第27条には〈天皇,皇后,太皇太后,皇太后を葬る所を陵,その他の皇族を葬る所を墓〉と定義する。(1)陵 〈みささぎ〉と読み,御陵(ごりよう),山陵(さんりよう)ともいわれ,各陵には陵名が付けられている。現在の陵は歴代天皇121名111陵のほかに,北朝の天皇,皇后,中宮,天皇または太上天皇の称号をおくられた者,皇后,皇太后,太皇太后の称号をおくられた者,神代3代など82名の74陵がある。(※コトバンク「御陵」より引用)
とありました。
そして、と〜っても気になるのが、御陵橋と先ほどの古墳の位置関係。
▲ 古墳の位置から御陵橋を見てみると・・・見事なほどの一直線だと思いませんか??まるでこのために準備されたかのような橋、道、古墳の配置です。
▲ 逆に御陵橋側から古墳を見るとこうです。周りにたくさん建物があるので気づきにくいですが、気がつくと不思議な感じもします。
▲ 古墳なので、もちろんこの地域で力を持っていた人物が葬られた場所だとは思いますが、御陵橋の存在によって、なんだかもっと特別な意味を持つような気もしてきます。
御陵橋がいつ造られたのか、この道筋がいつからあったのかはわかりませんが、妙に気になる場所です。もしかしたら普通に昭和40年ぐらいに造られたよ!とかいうオチかもしれませんが・・・笑
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