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【今泉】幕末の歌人 大隈言道の旧居

福岡市中央区の今泉公園に大隈言道の歌碑があります。


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▲ この場所の周辺には江戸時代の歌人 大隈言道の旧居「ささのや」があったと言われています。


▲ そのため、大隈言道文学碑が公園内に建てられています。

今泉公園東側の屋敷は幕末の歌人大隈言道 の旧居「ささのや」の址である。言道は寛政十年(一七九八年)薬院に生れ 二川相近の門に学び、和歌の道にいそしんだ。三十九才の時、弟言則に家を譲り、今泉の地 に住み、その家をささのやと号した。天保十年豊後日田の広瀬淡窓の咸宜園に 入門、文久二年(一八六二年)大阪に移り、慶応三年(一八六七年)再びささのやに帰りて、居住した。帰国後間もなく明治元年七月二九日没した。年七十一才。墓は薬院香正寺にある。著書に「今橋集」「戊午集」「草径集」「読草径集」があり、勤皇の歌人野村望東尼はその弟子であった。佐々木信綱は草径集を古本屋で求め、その和歌にうたれ世に紹介した歌人。清浦誉喜は咸宜園で学んだ同門という関係で、此の碑文を草し、金子堅太郎は郷土の歌人顕彰のため 旧居のしるしを揮毫した。


高杉晋作などとも関わりを持った野村望東尼も大隈言道の弟子だったそうです。

※ 野村望東尼関連記事

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今では飲食店やショップなども建ち並び賑やかですが、江戸時代は静かな場所だったのでしょうね。


▲ 今泉公園は現在改修工事が行われているようですが、この文学碑はそのまま残されるのでしょうか?


▲ 「大隈言道翁旧蹟」の碑。


▲ 「昭和七年二月 金子堅太郎 著」とありました。

司法大臣、農商務大臣などを歴任した明治の政治家 金子堅太郎の揮毫のようです。

Wikipediaの金子堅太郎によると

嘉永6年(1853年)2月4日、福岡藩士勘定所附・金子清蔵直道の長男として、筑前国早良郡鳥飼村字四反田(現在の福岡市中央区鳥飼)に生まれる。(中略)文久3年(1863年)1月、藩校・修猷館に学ぶ。(中略)修猷館での成績が優秀であることから永代士分に列せられ、秋月藩へ遊学を命ぜられ、さらに家老から東京遊学を命ぜられて元昌平黌中博士で松山藩大参事・藤野正啓の漢学塾に所属。

とありますのでかなり成績優秀だったようです。もしかしたら大隈言道の歌にも精通していたのかもしれませんね。

【参考サイト】
歌人・大隈言道の歌碑

大隈言道 草径集
大隈言道 草径集

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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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