【長崎】信徒発見の舞台となった大浦天主堂
長崎のメジャー観光スポットの大浦天主堂。
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▲ 場所はこちらです。グラバー園のすぐ近くにあります。
▲ 長崎の定番観光スポットになっていますが、この大浦天主堂は約150年前、まだキリスト教が禁止されていた時代に「信徒発見」の舞台となった場所です。
▲ 大浦天主堂に行く途中の階段から脇に入ると、このようなモニュメントが設置されていますが、これは信徒発見の様子を示すものです。
幕末、鎖国体制が崩壊すると、たくさんの外国人が長崎に住み始めていました。
大浦天主堂は長崎にいるフランス人のために作られた教会で「フランス寺」と呼ばれて当時から観光地のようになっていたそうです。
1865年3月17日、数名の日本人が教会の前に立っていたので大浦天主堂のプチジャン神父は中に入れてあげました。
すると、ひとりの女性が「自分たちは浦上に住んでいるカトリックの教徒です」と打ち明けました。
彼女たちはいわゆる「隠れキリシタン」で、キリスト教が禁止されてから200年以上、迫害されながらも村を上げて代々教えを貫いてきたといいます。
プチジャン神父はたいへん驚くとともに、こうして脈々と教えが受け継がれてきたことを喜んだそうです。
そして信徒たちが「サンタ・マリア様のご像はどこ?」と尋ねたのでマリア像を見せてあげると初めて見るマリア像に感激したそうです。
彼女たちは浦上に帰ってからそのことを人々に伝えると、続々と大浦天主堂に隠れキリシタンたちが訪れたと言われています。
しかし、そのことがきっかけで「浦上四番崩れ」と言われるキリスト教弾圧騒動に発展し、彼らの苦難はまだしばらく続くこととなります。
福岡の西公園にあった源光院跡の施設には浦上四番崩れで捕縛された人たちが収容されたと言われています。(→ 詳しくはこちらの記事を参照)
▲ 何となく立派な教会だな〜とサラッと見てしまいそうですが、そういった背景を知っていると、また見え方が違ってくるかもしれません。
【参考文献】
・Wikipedia大浦天主堂
講談社
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