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曰佐住吉神社の謎

曰佐住吉神社の社殿の謎について。

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福岡市南区に曰佐(おさ)という地名がある。

曰佐の「曰」は「日にち」ではなく「曰く(いわく)」という漢字で言葉を話す事を表し、「佐」は補佐の「佐」で助けたり手伝ったりする事を指している。曰佐は話すのを手伝う、つまり通訳という意味だ。漢や百済の通訳官が多く居住した地域である事が曰佐という地名の由来と言われる。

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その曰佐に曰佐住吉神社という小さな神社がある。

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古式ゆかしい形状の社殿が印象的である。

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境内の案内板によると、かつては元禄時代創建の荘厳な社殿があったそうだが大正4年に火災で焼けてしまったため、香椎宮より古殿の払い下げを受け現在の社殿としたそうだ。

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今の香椎宮の社殿(本殿)は藩政時代に黒田家によって再建され、現在でもその社殿が建っている。それを考えると、曰佐住吉神社の案内板に記された大正4年に香椎宮より社殿を移設したという解説は矛盾するように思える。

他の末社などの建物を移設して曰佐住吉神社の社殿としたのだろう、と解釈していたのだが、先日ある写真を見つけてこの疑問が解決した。

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その写真がこれだ。曰佐住吉神社の社殿と非常に酷似している。写真には「官幣大社香椎宮摂社古宮(仲哀天皇)神殿及拝殿」とキャプションが付いている。

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この「古宮」とは香椎宮の東側にかつてあった仲哀天皇を祀っていた場所である。

今からおよそ1800年前、熊襲を討伐するため仲哀天皇と神功皇后は筑紫の地にやって来て、この古宮の場所に拠点を作った。熊襲との戦いの途中、仲哀天皇は新羅を平定せよと神託を受けたが、これを拒否した。そのことが神の怒りに触れ、仲哀天皇はこの地で崩御してしまう。

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神功皇后は仲哀天皇の亡骸を棺に入れ、椎の木に立てかけると、椎の木からあたり一面に香りが漂った。「香り」が「椎の木」から漂ったことが由来となって、この地を「香椎」と呼ぶようになった。

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仲哀天皇の死後、神功皇后は自ら朝鮮半島へ渡り新羅を平定。帰国後に仲哀天皇を古宮跡の場所に祀った。その後、西暦724年に現在の香椎宮の場所に神功皇后が祀られた。

長い年月、仲哀天皇は古宮に、神功皇后は現在の香椎宮に、それぞれ別に祀られていたが、大正4年になって仲哀天皇が香椎宮に合祀され、現在の形となった。

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大正4年というと曰佐住吉神社の社殿が火災で焼け、その後、再建された年である。仲哀天皇が香椎宮に合祀されたのも大正4年。つまり、曰佐住吉神社の社殿はこの仲哀天皇が祀られていた社殿が移設されたものと考えられる。

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そういった古い歴史の事を考えると、この古式ゆかしい形状の社殿の理由がわかるような気がする。

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Y氏こと山田孝之が福岡のちょっと変わった観光スポットや路上ネタを紹介します。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)
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