メニューを表示

【親不孝通り】めんたいロックなど福岡カルチャーの発祥の地を巡る

福岡市中央区の親不孝通り。めんたいロックなど福岡独自のカルチャーを数多く生み出してきた街です。16
▲ 僕のような1990年〜2000年代以降に青春時代を送ってきた世代にはイマイチ ピンと来ないのですが、かつては福岡で若者が集う場所といったら親不孝通りと言われたほどのにぎわいを見せていたとか。

11
▲ 最近では「親不孝通り」という名前も印象が良くないということで「親”富”孝通り」と改めようとしているようですが、今ひとつ定着していない感じ。なのでこのページでも あえて「親不孝通り」の方を使っています。

05
▲ 通りの看板に掲げられている「oyafukou-st.com」にアクセスしてみても最終更新日が2006年03月11日(土)になっていて ちょっと切ない気持ちにさせられます。


▲ 「親不孝通り」という名前の起源については、長浜公園近くの「振子」という店にあるようです。店の前に「親不孝通り発祥の地」と書かれた碑が建てられています。


お店のホームページを見てみるとこう書かれていました。

40年前、現在の場所で焼き鳥屋と雑貨屋を隣り合わせで開業しました。雑貨屋は、アンティークなものを沢山扱って振子時計等を売っていました。32年位前二つのお店をひとつにし喫茶振子となりました。(中略)親不孝通りに何も無かったころ親不孝通りに大きな予備校がありました。当時、喫茶店をしていた関係で予備校生達が、ランチを食べに来ていました。
その予備校生達に「真面目に勉強せずに遊んでばかりで、親のすねかじりしている親不幸な奴ばかり歩いているから親不孝通りやな!」
とジョークで言っていたのを予備校生達がいつの間にか使うようになったのが親不孝通りの始まりです。

なるほど、元喫茶店だったこのお店に学生たちがたむろしていたことから親不孝通りと名付けられたのですね。

12
▲ 昭和通り側の親不孝通りの入口には「関帝廟」という三国志の武将「関羽」が祀られている神社(?)があります。


▲ なにやら荘厳な関羽像が!案内看板にはこう書かれていました。

福岡関帝廟は三国志で有名な武将「関羽」を「関聖帝君」としてお祭しています。「精忠・守義」の将軍として、「護国の神様」さらに昔の中国の簿記の発明者として、「商売繁盛の神様」として信仰されており、家内安全・入試合格・学問の神様としても崇められております。


▲ また、親不孝通りがシティオブドラゴンという映画のロケ地になった関連でこの関帝廟の除幕式にはスティーブンセガールも訪れたのだそうです。


▲ 「関帝廟」の横には「親孝行神社」というインディーズ系の神社もあります。知ってましたか?

10
▲ 少し横道にそれると古い建物も少し残っています。

09
▲ 実はこの道、かつての唐津街道のなごりで、この辺りのメインの道りになっていたらしいです。今でこそ、裏道のようになっていますが、当時は人通りの多い街道として栄えていたのでしょう。


▲ 確かにこの通り沿いには妙にお寺も多いですね。この大長寺には黒田官兵衛の父 職隆(もとたか)の位牌がおさめられているそうですよ。

07
▲ 「西郷南洲翁隠家乃跡」という碑がありました。元々は醤油蔵があったそうで、幕府から指名手配されていた西郷隆盛が隠れていた場所なのだとか。※ 詳細はこちら→ 福岡市の親不孝通りに西郷隆盛がいた!?


▲ 親不孝通りの象徴とも言える、バブル期に一斉を風靡したマリアクラブ。(※写真は1998年発行のシティ情報ふくおかの臨時増刊号「ふくおか天神本 NEW 天神の最新情報すべてがわかる!」より)1986年12月〜1997年7月31日まであったそうですが、


大きな地図で見る
▲ そんなアイコン的な存在であったクラブも、現在はマンションになっています。

Wikipediaのマリアクラブによると

開店時にはTM NETWORKのライブが開催された。当時「九州最大級」と言われ、多くの若者が来店していた。親不孝通り(現:親富孝通り)沿いにてオープンしたが、その後、同通りから西側に延びる路地に面した場所へと移転。その路地は「マリアストリート」と呼ばれるようになった。最盛期にはこのマリアストリートに、趣向の異なるいくつかのディスコやクラブが並び、またマリアビルには24時間営業の書店(「ブックスマリア」)や隣にはダンキンドーナツもあって、昼夜を問わず賑わいを見せていた。ビル内の回廊には恋人同士が記念に「愛の鍵」を取り付けるための壁も設置されていた。

とのこと。そんなマリアクラブも

バブル崩壊の影響やディスコブームの終焉により客足が減少し、1997年7月31日に閉店。その後、約5年半にも亘って建物が巨大な廃墟状態となっていた

という末路をたどっています。

1998年発行のシティ情報ふくおかの臨時増刊号「ふくおか天神本 NEW 天神の最新情報すべてがわかる!」でも、


▲ このように、親不孝通りが「若者に人気のスポット」的に紹介されています。


▲ ブティックや古着屋がたくさん とか 長浜公園には10代の若い子がいっぱい と書かれています。(※詳しくはこちら → 絶妙に古い 15年前(1998年)の福岡のシティ情報誌が泣ける

01
▲ その長浜公園は現在ではひっそりした公園になっています。

04
▲ 長浜公園の向かい側にはライブハウスが軒を連ねています。

02
▲ 壁面のポスターを見るとビジュアル系が多いですね。

DSC04264
▲ そのポスター群を奥に進むとマジックスクエア(Magic Square)があります。その外観からバブルの香りが強烈に感じられます
。現在でも各フロアにクラブが入っています。

DSC04282
▲ バブルの香りといえばこちらもなかなかのインパクト。もともとはクラブやカラオケなどが入居していたビルのようですが、

DSC04289
▲ 現在は閉鎖されている様子。

DSC04292
▲ 宇宙船のような外観が強烈です。

06
▲ 宇宙船の向かい側には長浜公園の交番。この建物もなかなか面白いですね。

数多くの大物ミュージシャンを輩出したフォークの聖地 照和の歴史のページによると、

1970年(昭和45年)11月21日、博多の中心地ここ天神に喫茶店「照和」が産声を上げた。
当時学生運動などで騒然とした時代、「 世の中を明るく照らす 」というオーナーの熱い思いからこの照和の歴史は始まった。教育者でもあるオーナーは、長浜公園や舞鶴公園で毎日のように歌っていた若者達を「音楽によって更正させたい 」と、「 照和 」に呼び寄せた。

とのこと。今では有名なミュージシャンも大きな夢を持って ここで弾き語りをしていたのかもしれませんね。

親不孝通りは多くのミュージシャンを輩出していることから、リバプールのマシュー・ストリート(まだ無名時代のビートルズが演奏をしていた場所)と比較されることがあります。

これだけたくさんのコンテンツを持っている場所なのでぜひもう一度にぎわいを取り戻してもらいたいものです。

親不孝通りディテクティブ (講談社文庫)
北森 鴻
講談社
売り上げランキング: 326,812
Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
Twitter facebook
福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
ページトップへ戻る