歴史ネタが豊富でや個性的な店も多い冷泉町を散策
歴史ネタが豊富でや個性的な店も多い冷泉町を散策してみました。いろいろみどころがあって面白い町です。
▲ 博多区の冷泉町(れいせんまち)。
▲ かつてはかなりの部分が入江であった福岡市中央区〜博多区の中で、古くから存在していた町であるため、非常に歴史の深い土地です。(※絵図は鎌倉時代のもの博多周辺を描いたもの)
とは言っても「冷泉町」という町名は昭和40年代の町名改正でつけられた名前で、
櫛田前町、万行寺前町、上赤間町の全部。
竹若町、中奥堂町、上小山町、社家町、馬場新町、上祇園町、下祇園町、 大乗寺前町、上厨子町の一部。(博多・冷泉地区プロフィール | 博多・冷泉のあゆみ より引用)
が集合してできた町です。
冷泉町の「冷泉」とはかつて博多に派遣されてやってきた冷泉中納言のこと。
▲ 1222年、博多の漁師の網に人魚がかかりました。(※絵図は龍宮寺案内看板より)
人魚のことを聞いた朝廷は冷泉中納言という人物を博多に派遣します。
▲ 冷泉中納言は冷泉町にある龍宮寺の場所に滞在しました。
一方、博多の町は人魚が上がったということで大騒ぎになったといいます。
好奇心旺盛な博多っ子、まさかの「みんなで人魚を食べよう!」ということになったのだそうです。
しかし、食べようとしたのにはちゃんと理由があり、当時、人魚の肉を食べると800年生きることができると言われていたからだそうです。
それで 早速 食べようかとしていた時、滑り込みで冷泉中納言と安倍大富という博士が到着。
安倍大富がこの人魚について占ってみると「国家長久の瑞兆なり」つまり、国が末永く続く前兆であると出たため、食べるのはやめて手厚く葬ることに決定したのだそうです。
冷泉中納言が宿泊していた龍宮寺(当時は浮御堂と言っていた)に人魚を運び、塚を作って埋葬しました。
▲ 作り変えられてはいるものの、その塚は現在でも龍宮寺に残っています。
また、人魚の骨と言われるものも龍宮寺に保存されています。
冷泉中納言が滞在したのが現在の冷泉町にある龍宮寺であることからこの地域は「冷泉町」と名付けられたのだそうです。
人魚が見つかったことが地名の起源になっていたんですね。
▲ ちなみに冷泉公園というものがありますが、これは冷泉町ではなく上川端町にあるんですよ。へぇ〜!へぇ〜!
▲ さて、そんな冷泉町をいろいろ見ながら歩いて行きたいと思いますが、冷泉町の道って妙にスッキリしていると思いませんか?
冷泉町と櫛田神社を隔てる道なんかは特に。
実はこの道、山笠が通るルートなので道路を電線が横切らないようにしているんだそうです。
なのでスッキリした感じがするんですね。
▲ 信号も可動式で山笠の時には歩道側に引っ込めることができるようになっているんだそうです。
さすが博多、山笠を中心にまちづくりが行われていますね!
▲ 冷泉町には古い建物も多く残っています。
▲ 博多の歴史や文化を展示している「博多町家ふるさと館」は明治中期の博多織織元の住居兼工場を移築して造られたもので、市の指定文化財。
▲ 博多町家ふるさと館から少し進んだ所にある旅館「鹿島本館」は大正期に建てられた数寄屋建築で福岡市で初めて国の登録有形文化財になった建物です。
▲ 櫛田神社の門前町ということで、かつてこの近辺には百件以上の旅館があったのだそう。
鹿島本館やこちらの山本旅館はそのなごりなんですね。
▲ 博多町家ふるさと館の向かい側のビルとビルの隙間には新硯神社という小さな稲荷神社がひっそりとあります。
▲ 由緒書きなどがなく詳細は不明ですが、瓦の部分に狐がいる変わった社殿です。ちょっとシュールです。
▲ 鹿島本館から北西方向に進んでいくと田中商事という会社あります。
▲ その会社の壁にはこんな貼り紙が。
山笠が通る道の中でカーブでかつ、最も細い道であることから最大難所とされている場所です。
ここで山笠を見学するときは命がけだそうです・・・。
▲ 山笠最大難所からさらに北西方向に進んでいくと宝照院というお寺があります。
▲ 12月2日~3日だけ披露される大黒天は商売繁盛や家内安全にご利益があるということで有名。
▲ そして宝照院の向かい側の駐車場。
ここも何気にすごくて、博多織の祖である竹若藤兵衛の住居があった場所です。
▲ 全国的に知られる博多織の歴史がここから始まったかと思うと なかなか感慨深いです。
▲ その裏には寿福院があります。
ここには子安観世音菩薩があり、安産祈願で知られています。
▲ 大博通り沿いの福岡祇園第一生命ビルディングには幕末のエピソードが。
▲ この場所はかつて天福寺というお寺があった場所ですが、福岡藩の勤皇の志士、加藤司書が自刃した場所でもあります。
▲ 加藤司書は幕末に活躍した福岡藩の家老。(※ 写真は福岡城の案内看板)
荒木村重から幽閉された黒田官兵衛を救い出した加藤又左衛門(重徳)の子孫にあたる人物です。
ロシア艦隊が長崎に来航した際にはその対応にあたり持ち前の交渉力で引き揚げさせたり、幕府の長州征伐を取りやめさせたり、多くの実績を残しています。
また西郷隆盛や高杉晋作などの勤皇派の志士とも交流を持ち、薩長同盟にも尽力したと言われています。
しかし、保守勢力から粛清にあい家老職を解かれた上、切腹を命じられ天福寺で没しました。享年36。
辞世の句は「君かため盡す赤心(まごころ)今よりは、尚いやまさる武士の一念」。
ちなみに、天福寺は現在、城南区南片江に移転しています。
▲ 福岡祇園第一生命ビルディングの横の道は櫛田神社の表参道にあたり、大きな鳥居があります。
▲ その鳥居の横にちょっと面白いパン屋があります。
▲ 屋号は「ぱん屋のぺったん」。
▲ この小さな扉のようなもので、その日販売されている商品がわかるシステムになっています。
▲ こんな感じでパンがディスプレイされていて店員さんに「これをください」と注文するスタイル。
▲ でもパンの名前が変わった感じなので注文するのが少し恥ずかしかったりします 笑
「あしくさ」という名前のパンもあって、これは足の形のパンに独特のニオイがするブルーチーズが入っているのだとか。
この日は売り切れだったようですが、今度挑戦してみよう。
なかなか勇気が必要だけど。
▲ こちらは「ベーコンとクリームチーズのうずうず」。
めちゃめちゃ美味しかったです。
▲ そしてこちらは「にわかせんぱい」。
ネーミングといい、形状といい、妙に何かに似ていますが偶然でしょう。
▲ 中にはうぐいすあんが入っていて激ウマ。
ユニークでクオリティも高いパン屋。オススメです。
散策の際にはぜひ。
▲ もう一つユニークなお店が櫛田神社前にあるうどん屋「あかちょこべ」。
▲ ここではこんなスタイルで釜揚げうどんを食べれます。
▲ なんと、やかんにうどん!
釜揚げうどんというよりは「やかん揚げうどん」と言うべきかな。
店長さんが東北ではやかんにうどんを入れて食べるらしいと聞き、そのスタイルでうどんを作っていると、後々、実はそんな食べ方は存在しないということが発覚。
予期せず、類を見ないオリジナルのうどんが完成してしまったのだとか。
▲ 古式胚芽麺という少し茶色がかった麺。
かなり食べごたえあります。
▲ しかも汁には納豆が!
これがまた意外な化学反応を起こしてウマいんです。
なんとも面白いうどん屋です。
▲ 今回は冷泉町限定で見ていきましたが、約300メートル四方の範囲内でこれだけのネタがあるとはスゴイです・・・。
しかも、少し範囲を広げるとこの倍ぐらい見どころがあります。
ということで、今度の休日は冷泉町エリアで散策をしてみてはいかがでしょうか?
いろいろと面白いものがあるのでオススメですよ。
▲ そうそう、あと、もう一つ気になるものが。
冷泉町の国体道路沿いに「うわさビル」というビルがあるのですが、これっていったいどういう由来でこんな名前になったんでしょうかね?
ご存じの方がいらっしゃったらぜひ教えて下さい!
【参考サイト】
・福岡市の文化財 旅館 鹿島本館