福岡市の親不孝通りに西郷隆盛がいた!?
親不孝通りあたりをふらっとしていましたところ、ある石碑がひっそりと置かれているのを発見しました。
▲ 場所はこちら。
兼平鮮魚店という海鮮料理店の前あたりです。
▲ この道は何度も通ってきたのに石碑があったとはまったく気がつきませんでした。
石碑には「西郷南洲翁隠家乃跡」と書かれています。
「西郷南洲」をググってみますと、どうやら西郷隆盛の事のようです。
この石碑は 西郷隆盛の隠れ家がここにありました という事を示す石碑のようです。
西郷隆盛が親不孝通りに来ていたとは!
石碑には説明書きなども記載されていませんので、いったいなぜ西郷隆盛がここを隠れ家にしていたのかわかりません。
こうなると気になって気になって仕方がありませんので、さっそく調べてみました。
この場所には元々何があったのか
▲ 現在は粋な雰囲気の海鮮料理店になっていますが、元々は醤油蔵があったのだそうです。
▲ 親不孝通り沿いに現在もある「福萬醤油」という醤油商の蔵がこの場所にあり、その蔵を隠れ家にしていたようです。
なるほど、路地裏のひっそりとした蔵に身を隠していたのか、と思ってしまいそうですが・・・
▲ 古地図を見てみると、この道は唐津街道です。(※ 地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み」【海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編】より引用)
▲ 今でこそ、裏道のようになっていますが、当時は人通りの多い街道として栄えていたと考えられます。
▲ 確かに、この通り沿いには味のある建物が残っていたり・・・
▲ 妙にお寺が多いことからもそのなごりを感じることができます。
「葉を隠すなら森」ということでコソコソせずにあえて人通りの多い場所を選んだのかもしれませんね。
なぜ身を隠す必要があったのか
西郷隆盛は なぜ身を隠す必要があったのでしょうか?(写真はWikipedia 西郷隆盛 より)
かなりザックリと説明すると、当時の徳川幕府の政策に反対し、幕府を倒して新しい政治を行おう という活動をしていたためです。
そのため、幕府からおたずね者として追われていたのです。
▲ その当時の人相覚(指名手配書)が残っています。
一番左の「西郷吉之助」と書かれているのが西郷隆盛です。
長州藩(今の山口県)の高杉晋作や福岡藩の平野國臣(次郎)も指名手配されていたようですね。
▲ 写真や肖像画とくらべてみるとこんな感じ。
西郷隆盛と平野國臣は まあわかりますが、高杉晋作は全然似ていない、というか目つきなんかは真逆ですね。(写真はWikipedia「高杉晋作」「平野國臣」 より)
なぜ福岡に来たのか
では、西郷隆盛は なぜ福岡に来ていたのでしょうか?
▲ 西郷隆盛は福岡に来る前までは京都で月照というお坊さんと一緒に幕府を倒す画策をしていました。(※ 画像はWikipedia 月照 より)
▲ しかし、幕末の大老、井伊直弼らによって、幕府に反対する思想を持つ人などを一斉に弾圧する活動(安政の大獄)が始まり、月照もその対象になっていることが分かったために月照を連れて西郷隆盛の故郷である鹿児島に向けて逃げ出しました。(※ 画像はWikipedia 井伊直弼 より)
西郷隆盛は月照を一旦 福岡の仲間に預け、先に鹿児島に戻って月照を迎え入れる準備を整えようと考えていました。
▲ その際に西郷隆盛と月照が滞在していたのが この場所にあった福萬醤油の蔵なのです。
福萬醤油の店主、白木太七も幕府を倒して新しい政治を行う必要があると考え、同じ考えを持つ西郷隆盛の仲間たちと行動を共にしていました。
そのつながりから福萬醤油の蔵がベストな場所だとして選ばれたのだと考えられます。
その後、すぐに西郷隆盛は福岡を出発していますので、おそらくここに滞在したのは数日間だったと思われます。
その後
その後、残された月照を薩摩(鹿児島)に連れて行ったのが上記の指名手配書にも載っていた福岡藩の平野國臣です。(※ 画像はWikipedia 平野國臣 より)
平野國臣と月照は山伏(やまぶし)の姿に変装して薩摩にたどり着きます。
しかし薩摩藩としては、ただでさえややこしい おたずね者達がやってくるのは はっきり言って迷惑です。
薩摩藩は結局月照を受け入れず、西郷隆盛に日向(宮崎県)に連れて行くように命令を出します。
これは暗に、西郷隆盛に月照を処刑するように指示したものでした。
これまで一緒に活動していた仲間を処刑することなどできるはずがありません。
悩んだ末に二人は舟から海に飛び込んで心中しようとします。
一緒に舟に乗っていた平野國臣は異変に気づき、二人を海から引き上げます。
西郷隆盛は奇跡的に一命をとりとめますが、月照は命を落としてしまいます。
平野國臣も その後打倒幕府の活動を続けますが、結局捕まってしまい処刑されています。
▲ まさにそんな激動の直前に滞在していたのがこの場所だと思うと、なかなか感慨深いものがあります。
小さなひっそりとした石碑ですが、その裏には深〜いストーリーがあるものですね。
【参考文献】
・西郷隆盛の隠家跡
・西郷隆盛と平野国臣
・福萬醤油の歴史(戦国時代から昭和まで)
・福萬醤油の歴史