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志賀島にあった「志賀島水族館」の歴史

現在、福岡市の水族館といえば「マリンワールド海の中道」ですが、かつては別の場所に水族館がありました。

福岡市の水族館の歴史は以下の通りです。

【箱崎水族館(明治43(1910)年〜昭和10(1935)年)】
・筥崎宮近くにあった水族館。
・場所は現在のお汐井浜、福岡県神社庁付近。
・国道三号線の開通時に、国道にかかる形で存在していたため閉館となった。
・昭和6(1931)年閉館という説もある。

【志賀島水族館(昭和26(1951)年〜昭和46(1971)年)】
・場所は志賀島の福岡市立志賀島保育所向かいの志賀島南公園付近。
・志賀町の町営水族館だった。
・昭和26年9月1日開館、昭和46年3月31日閉館。

【福岡水族館(昭和32(1957)年〜昭和43(1968)年)】
・箱崎水族館と同じく、筥崎宮近くにあった水族館。
・場所は現在のマックスバリュ筥崎宮前店付近。
・筥崎宮参道を挟んで向かい側には大きなプラネタリウムもあった。

【マリンワールド海の中道(平成元(1989)年〜)】
・現在も営業する海の中道の水族館

今回は、この中で「志賀島水族館」について解説し、志賀島水族館に関する資料なども掲載しています。

志賀島水族館の成り立ち

志賀島水族館の成り立ちには田中諭吉という人物が大きく関わっています。

田中諭吉(明治34(1901)年〜昭和45(1970)年)は、日本のプランナーであり、画家、書家としても活躍した人物です。

博多の陶磁器店に生まれ、名前は福澤諭吉にちなんでつけられました。

絵画を独学で学び、昭和3(1928)年に福岡日日新聞社(現・西日本新聞社)に入社し、記事のスケッチを描いたり、企画広告部門で働いたりしました。

太平洋戦争後、新天町の建設を企画したり、博多祇園山笠集団山見せを企画したり、櫛田神社節分お多福面の企画したりなど、現在でも続く福博の様々な企画を立案した業績があります。

昭和25(1950)年には、「躍進日本水産展覧会」の企画を進めている最中、志賀島村長から田中諭吉に志賀島の観光行政に力を貸してほしいと声がかかりました。

水産展覧会の会場であった天神のデパートに展示できなかった品物を志賀島に展示し、簡易的な水族館も作られました。

これが大きな賑わいを引き起こしました。

この成功を受けて、志賀島では大規模な村営の水族館の建設が決定され、昭和26(1951)年には志賀島水族館が誕生しました。

これをきっかけに、志賀島の観光業が急速に発展し、多くの観光客が訪れるようになりました。

志賀島水族館の設備

『福岡歴史探訪 東区編(海鳥社・柳猛直)』に志賀島水族館の設備等に関して下記のような記述がありました。

・志賀島水族館は水槽の中の魚の生態をガラス越しに観賞するのと円型プールの魚を上から観るようにもなっていた。

・プールには大型の海亀やサメの類が泳いでいた。釣り堀用の池もあったがプールの魚を、こっそり釣る者もいた。

・水槽の魚が死んで、あとの補給がつくまでのピンチヒッターには、よくスズメダイが登場した。

・志賀島水族館には魚類ばかりでなく猿などの小動物も飼育していたが三十年代に雄のアシカを一頭入れた。ある夏、台風がやってきて大あらしになった。一夜明けてみると、このアシカが、いなくなっていた。暴風雨の中を水槽からぬけ出し、さくを潜って海に逃げたのである。当時八万円で買入れたアシカだったので水族館にとっては大きな痛手であったが、海に出てしまえば捜索の方法もないので、あきらめていた。ところが一年ほどたって水族館協会から連絡があって、高知県の桂浜水族館でアシカを一頭、保護しているが、どうも志賀島から逃げ出したものらしいということであった。逃亡のあと協会に通報していたので志賀島のものではないかと問合わせてきたのである。早速、係員が桂浜に行ってみると果たして志賀島から逃げ出したアシカだった。四国沖の大平洋で漁船の網にかかったのである。(中略)桂浜水族館側は連れて帰りますか?といったが途中の輸送も大変なので、向うで飼ってもらうことにしてアシカ騒動は幕となった。

志賀島水族館跡地の現在

志賀島水族館跡地は、現在「志賀島南公園」となっています。「福岡市立志賀島保育所」の向かい側付近にあったようです。

志賀島水族館関連の資料

↑昭和30年代頃と思われる志賀島水族館の絵葉書

↑昭和40年代頃と思われる志賀島水族館の絵葉書

↑昭和30年代頃と思われる志賀島と志賀島水族館を紹介するパンフレット

↑昭和40年代頃と思われる「国民宿舎しかのしま苑」のパンフレットより

↑昭和35(1969)年5月発行の志賀島のパンフレットより

↑昭和30年代後半発行の、志賀島の旅館「静遊館」のパンフレットより。中央付近に志賀島水族館?

↑昭和31(1965)年発行の博多のガイドブック「博多の昼と夜」に掲載されていた広告

↑昭和35(1969)年9月発行「福岡ごあんない」より。箱崎の「福岡水族館」と「志賀島水族館」、2つの水族館が存在していた時期。

↑昭和31(1965)年発行「福岡市案内図」より

【参考文献】

福岡歴史散歩 東区編(海鳥社・柳猛直)

【参考サイト】

光頭無毛文化財・田中諭吉の生涯 ―福博大衆文化の近代史―
https://sites.google.com/view/koutoumukebunkazai/田中諭吉とは

Wikipedia田中諭吉
https://ja.wikipedia.org/wiki/田中諭吉

Wikipedia箱崎水族館
https://ja.wikipedia.org/wiki/箱崎水族館#福岡水族館

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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