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福岡城下之橋御門(しものはしごもん)を古写真と比較してみる

福岡城下之橋御門(しものはしごもん)を古写真を先日の古本市で100円でゲットしましたので、これを現在の様子と比較して色々と考えてみました。

古写真は文字資料や地図では読み取れないものが見えてきてとても面白いです。

まず、下之橋御門がどこかといいますと、護国神社から美術館横を通って城内を抜け、明治通りに差し掛かった場所の左手にある門です。


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▲ 地図でいうとこちらですね。


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▲ 現在の様子はこのような感じ。

▲ そしてほぼ同じ位置から撮影された写真がこちらです。

まず、この写真がいつの時代のものかを考えてみたいと思います。

▲ まず、一番推測しやすいのが文字の表記方法。右から左に書かれていることから考えると少なくとも戦前の写真であることがわかります。

▲ そして堀の幅。現在よりも1.5倍ほど広いようです。

さらにその右側に松の木などが生えたあぜ道がありますので現在の明治通りにまで差し掛かっていることがわかります。

▲ 現在の道で言うとこの辺りまで写真に写っていると考えられます。

明治通りには西鉄市内線(路面電車)が1910年(明治43年)から走っているはずですので、道幅や写っている範囲から推測するとおそらく西鉄市内線が開通する以前の写真ではないかと推測されます。

ですので、おそらくこの写真は明治後期に撮影されたものではないかと思われます。

▲ まずこの写真を見ていると気づくのが下之橋御門の屋根が見えていないということです。

▲ 下之橋御門にはこんなに立派な屋根がついていますので、


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▲ この位置から撮影すると、このように下之橋御門の屋根が見えるはずですが なぜか上記の古写真では写っていません。

当時は下之橋御門は無かったのでしょうか?

▲ 実は現在の立派な屋根は修復されて作られたものなのです。以前はこのようなあまり高さのない門だったのですが、2000年にボヤ騒ぎで燃えてしまったため、現在のように修復されました。

修復されたバージョンは事実に基づかないという声もあり、現在も議論が続けられています。

古地図でこの門を確認してみても、立派な屋根があったか なかったか判別が難しいです。今後の調査に期待です。

▲ 細部を見ていくと、非常に興味深いものが写り込んでいます。

丸い電話ボックス風の詰め所のようなものが写っています。

明治時代から太平洋戦争までの間、福岡城は軍の施設として使用されていましたので、入口であるこの場所に簡易的な詰め所のようなものを作成して検問を行っていたのではないかと思います。

そしてその横にはリヤカーが置かれていますね。これで一体何を運んでいたのか、非常に気になるところですね。

▲ 写真右端を見てみると人物も写っていました。

行商風の人が何かを担いでいますね。野菜とか魚とかでしょうか。

そしてその奥には白い軍服の人ともう一人 人物が写っています。

何かをじっと見ているようにもみえますし、なんとなく自転車に乗っているようにも見えますね。

その奥には小屋のようなものもあるようです。

この人たちは何をしていて、どんな理由でここに来ているのか、色々と想像を巡らせると面白いです。

たった写真1枚ですが、そこには色んな人の人生の一部が切り取られていて大変興味深いです。

面白そうな写真をみつけたら また色々推測してみたいと思います。

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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