【福岡】福津市にある「新原の百塔板碑」
福津市の新原・奴山古墳群の中の21号墳の上に8つの石塔が建てられています。
→ 新原・奴山古墳群についての記事はこちら
http://y-ta.net/shinbaru-nuyama-kofun/
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▲ 場所はこちらです。
▲ 21号墳は木が生い茂っていて、フェンスで囲まれていますので中に入ることができません。
▲ パネルにはこう書かれていました。
5世紀前半につくられた新原・奴山21号墳の上に8基の石塔が建っています。石塔は当地から2.5km程離れた渡地区から切り出された玄武岩を用いています。石塔には梵字(古代インド文字)とその下の円内に観音菩薩、金剛界大日如来、文殊菩薩、薬師如来等を線彫りしたものと、梵字のみのもの、釈迦如来の図像のみのものがあります。
なるほど、梵字や仏様が描かれた石があるのですね。
▲ フェンスがあって近づくことができませんのでどういうものが描かれているか見えませんが、確かに人の手で建てられている石塔が見えます。
さらにパネルにはこうありました。
なかでも三方向に梵字がある石塔は、正面に『願共緒衆生往生安楽国 文永十一年八月日改立 勧進僧行円』とあり文永11年(1274)に建てられたことがわかります。また国内で三例しかない珍しい重体至極梵字(いくつかの梵字を切り継いだもの)があります。これらの石塔は鎌倉幕府の五代目執権である北条時頼が諸国を見て回っている時に、平家一族の霊を弔うために建てたとも、また、蒙古襲来の戦死者の供養に建てられたともいわれています。
▲ この石は1200年代ごろに源平合戦で敗れた平家の霊を弔うもの、もしくは蒙古襲来の戦死者を弔うものと考えられているのですね。
▲ 古墳は昔から神聖な場所だと考えられていたのか、よく古墳の上に神社が建てられたりします。
この慰霊碑も同じような考えでこの場所に建てられたのでしょうね。