江戸時代に福岡で大きな被害をもたらした「子年の大風(シーボルト台風)」
江戸時代の1828年(文政11年)9月17日、福岡を巨大な台風が襲いました。
子年の大風、別名「シーボルト台風」とよばれる台風です。
シーボルト台風とよばれるようになったのは1961年からで、日本に来ていたドイツ人の学者であるシーボルトが この台風の被害にあい、船を修理しているときに当時海外への持ち出しを禁止されていた日本地図を船内に所持していたことから国外追放となったことに由来しています。
▲ シーボルト台風は佐世保から有田、佐賀を通るルートで北東に進み、福岡藩には午後9時頃に上陸しました。
シーボルト台風の勢力は中心気圧900〜935hpa、最大風速50〜55m/s、総雨量300mmぐらいの巨大なもので、過去300年間で最大規模の台風であったと考えられています。
シーボルト台風による福岡の被害状況は色々な古文書に記録されています。
▲ 福岡で起きた様々なできごとを絵入りで記録した「旧稀集」には福岡城の御殿が全壊し、二の丸・櫓が半壊、さらに筥崎宮をはじめとする寺社も大きな被害があったことが記されています。
こちらの絵図→ http://museum.city.fukuoka.jp/jg/image/57/08_04.jpg でも凄まじい状況が描かれています。
絵図を見る限りでは、火災も発生してたようです。
▲ 筑前福岡の書状には「志賀周辺は山の上迄汐吹上、崩所多、博多新町辺は腰の上迄汐上、一本木の下迄汐満上り申し候」と記録されていて、志賀島は山の上まで波が吹き上げ、がけ崩れがいたるところで発生、博多新町(対馬小路付近)は腰上まで冠水、一本木(平尾周辺)まで潮が上がってきたと高潮の被害状況が記されています。
福岡での被害は、家屋全壊22,018軒、同半壊17,132軒、死者2,353人、負傷者3,420人、破船420艘であったと言われています。(Wikipedia シーボルト台風より)
おとなりの佐賀藩ではもっとも被害が大きく、死者が8,000人近くにも及び、当時の佐賀藩の人口36万人のうちの2〜3%もの人が亡くなったそうです。
▲ 先日の大雨の被害でもよくわかったことですが(「天神・今泉周辺が冠水した理由を古地図から考える」を参照)、過去の記録や文献から対策を考えてみることもひとつの災害予防につながるのではないかと思います。
【参考文献リスト】
・Wikipedia シーボルト台風
・幕末福博見聞録「旧稀集(きゅうきしゅう)」
・1828年シーボルト台風(子年の大風)と高潮