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【薬院】菅原道真が川に映った自分の顔を見てガッカリした場所を探す

福岡で菅原道真というと まず思い浮かぶのが太宰府天満宮です。


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▲ もう少し詳しい人になると、中央区天神のアクロス福岡前にある「水鏡天満宮」も菅原道真関連のものだと知っていると思います。

水鏡天満宮は菅原道真が京都から福岡に左遷された時に、川に映った自分の顔を見て(つまり、川の水を鏡のかわりにして)、なんとひどい顔をしているのだと嘆いたことが由来となっています。

なぜ京都から福岡に左遷されたのかを話すと非〜常〜に長くなりますので省きますが、要は陰謀や妬みで追い出されたのです。

それで「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」( = 春になって東風が吹いたなら、その風に託して配所の大宰府(だざいふ)へ香りを送ってくれ、梅の花よ。主人のこの私がいないからといって、咲く春を忘れるな。※ Weblioより引用)と詠んで、泣きながら福岡へ向かったのです。

そのため、福岡についた頃には大変やつれた顔をしていたようです。

▲ ちょうど水鏡天満宮の横に川が流れていますので この川に顔を映したのだな と思ってしまいそうですが、実はこのエピソードは別の場所での事のようです。

Wikipediaの「水鏡天満宮」を見てみると、

今泉(中央区今泉)に社殿が建造され「水鏡天神(すいきょうのてんじん)」「容見天神(すがたみのてんじん)」と呼ばれた。江戸時代初期の慶長17年(1612年)福岡藩初代藩主黒田長政によって「水鏡天満宮」として福岡城の鬼門にあたる現在の地に移転された。

とあります。

なるほど、現在の場所は移転後の場所なんですね。

では もともとは どこにあったのでしょうか?

色々と調べてみると、昔は今泉にあったそうで、容見天神の石碑が残っているということが分かりましたので見に行ってみました。

▲ 民家の玄関先にあるので具体的な場所はちょっとアレですが、確かに今泉にあったようです。

▲ 移転される前の鎌倉時代頃の古地図でこの付近を確認してみると・・・(→拡大して確認する

▲ 「容見天神」と書かれています!(※古地図は地下鉄呉服町付近の案内看板より引用)

そしてWikipediaの「水鏡天満宮」には

今泉にある四十川(現在の薬院新川)の水面に自分の姿を映し、水面に映る自身のやつれた姿をみて嘆き悲しんだ

と書かれています。

▲ 古地図を見てみると、ちゃんと近くに四十川がありますね。

四十川=薬院新川ということなので、今度は薬院新川を見に行ってみました。


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▲ 薬院新川は薬院駅の横を流れるこの川です。

▲ おぉ、確かに鏡のように川にビルが映りこんでいます!

▲ そして、近くをウロウロしていると、これは!?という名前の橋を発見しました。

▲ 「姿見橋」です。

まさに!という感じではありませんか。

それで、この「姿見橋」の由来を調べてみると、やっぱり菅原道真が自分の姿を見たことに由来するらしいです。(こちらのサイトを参照 → 「水鏡の地」)

このあたりで菅原道真が自分の顔を見てガッカリしたのですね!

▲ 流れが穏やかだからか、水面に本当にキレイに映る気がするんですよね。

普通の川でもこんなものですかね。

ちなみに、薬院新川の以前名前である「四十川(しじゅうがわ)」とはもともとは「死時有川(しじゅうがわ)」と書いたのだそうです。

菅原道真が自分の顔を見て亡霊のようだと思い、ここは「死時有川」だと言ったことに由来するそうです。(水鏡天神天満宮の縁起より)

▲ 僕も同じように「姿見橋」の欄干からガッカリ顔を映してみました。

・・・あんまりよく分かりませんでした。

【参考文献】
実は天神という名の由来は、この石碑からなんだよ
水鏡の地
Wikipedia 水鏡天満宮

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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