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【大手門】簀子公園の赤煉瓦の一部が壊れている理由

福岡市中央区の大手門に簀子公園という公園があります。


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▲ 簀子小学校の横に隣接する公園です。

▲ 半分が運動場、半分が遊具のある広場になっています。

▲ そして、簀子公園と簀子小学校の境界部分は かなり古そうな赤煉瓦で仕切られています。

▲ 赤煉瓦を観察していると、なぜか一ヶ所だけ破損して それを修復したような状態になっている部分があります。

実はある理由があってこのようになっているのだと言われています。

時代は終戦間際、1945年までさかのぼります。

1945年の6月19日から翌6月20日にかけて、福岡はアメリカ軍のB29により空襲を受けました。(※写真は「思い出のアルバム 博多、あの頃(葦書房)」より引用)

いわゆる「福岡大空襲」です。

▲ 空襲直後の天神の様子。

天神や博多など福岡市の中心地区がターゲットとなっていましたが、簀子地区はとくに被害が大きかったと言われています。

▲ 簀子地区のすぐ南側の福岡城址に軍関係の施設が集中しており、この周辺はとくに重点的に攻撃されたといいます。(※ 地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み」【海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編】より引用)

▲ 簀子公園内にある供養塔には、

昭和二十年六月十九日夜 大空襲に依り簀子校区内にて百七十六名戦災犠牲となる

とあります。

福岡大空襲では約1000名が犠牲になったと言われていますので、犠牲者の2割程度が簀子地区に集中しています。

▲ 簀子公園横の簀子小学校の敷地内に多くの負傷者や犠牲者が運び込まれていました。

しかし、小学校敷地内に収まりきれなくなったために隣の簀子公園に運び出すことになりました。

小学校から公園に行くためには一度外に出て ぐるっと回ってから公園に行かなければならず、緊急を要する時にそのようなことをしている暇はありません。

▲ そのため、緊急的に赤煉瓦の一部を破壊して小学校から公園への通路を臨時で作成したのだそうです。

その後、赤煉瓦は修復されましたが、その痕跡はいまでも残り続けています。

簀子小学校、舞鶴小学校、大名小学校、舞鶴中学校の統廃合で2013年度をもって簀子小学校は閉校となります。

それに際して、赤煉瓦も撤去される予定だったのだそうですが、住民の要望により保存されることになったそうです。

悲惨な戦争の記憶を忘れないためにも、この赤煉瓦は残し続けてもらいたいものですね。

【参考文献リスト】
かたろうや「6・19福岡大空襲 フィールドワーク特大号」
47NEWS「赤れんが塀 保存へ 閉校の簀子小 住民の要望実る」
Wikipedia 福岡大空襲
・古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編)
・思い出のアルバム 博多、あの頃(葦書房)

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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