須崎公園にある大砲の台場跡
福岡市の天神にある須崎公園には江戸時代から明治にかけて大砲が設置されていた台場が残っています。
▲ 須崎公園の北側、那の津通りに面した部分にあります。
競艇場の向かい側といえばわかりやすいでしょうか。
▲ 須崎公園の様子。
▲ 公園内の北側に行くと、このような石垣がみえてきます。
▲ この石垣が江戸時代頃に作られた大砲の台場跡です。
公園の外壁としてそのまま使用されています。
▲ 昔はここが海岸線でしたので、このような感じで波が打ち寄せていたものと考えられます。
▲ 1800年ごろの古地図を確認してみると、この時点では砲台ではなく船着場として使用されていたようです。
大砲が設置されたのはおそらく1850〜60年代頃。
この時期、黒船の来航をきっかけに日本には外国船がたびたび訪れるようになります。
福岡藩は幕府に命じられて長崎港の警備を任されていました。
唯一の外国との窓口の様子をリアルに知ることができた福岡藩は外国船の恐ろしさを身をもって知っていました。
そのため、福岡藩にも大砲を設置して万一に備えていたのだと考えられます。
▲ ここには12貫目砲が15門設置されていたのだそうです。
▲ 大砲に関連するものではないかと思いますが、台場には瓶(かめ)のようなものが いくつか埋まっていました。
▲ 何に使用されたものでしょうかね。
▲ また、レンガもたくさん見つけることができました。
▲ あと、こちらは何でしょう?
▲ わりと新しそうな感じでしたが何に使われていたものなのか気になります。
▲ 明治維新を迎えてから しばらくは使用されていなかったようですが、1880年代ごろからは正午をしらせる時報として大砲が設置されたのだそうです。(→ 詳しくはこちら)
案内看板も設置されていない場所なのでなかなか見過ごしてしまいそうですが、そういった時代背景を知ったうえで鑑賞してみると また違ってみえるものですね。
【参考文献リスト】
・古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編)
・幕末福岡藩の海防とお台場
・須崎台場跡