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【福岡市】西新にある黒田藩の焼物を作っていた窯跡

西新にある浦賀神社付近は江戸時代、黒田藩の焼物を作っていた場所なのだそうです。


▲ 中西商店街を西へ進み、


▲ 坂下青果というお店を左に曲がると、


▲ 少し小高くなった場所に神社が見えます。


▲ この階段を登った辺りに昔、焼物を作っていた窯があったのだそうです。


大きな地図で見る
▲ 地図でいうとこのあたりです。


もともとは直方にある鷹取山にて、黒田長政が朝鮮出兵の際に連れてきた陶工 八山に焼かせた焼物がルーツとなっています。

この焼物は黒田藩の御用窯として繁栄し、現在の朝倉郡でもつくられるようになり、その後 輝国あたりに移転、1700年代には現在の西新の「東皿山」と高取の「西皿山」に分けられたという流れのようです。


▲ この東皿山では幕府や諸侯に贈るための茶碗や置物を専門に作り、西皿山では庶民用の皿を作っていたのだそうです。

【参考文献】
Wikipedia 高取焼

筑前高取焼の研究 (福岡市美術館叢書)
福岡市文化芸術振興財団
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Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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