江戸時代の刑罰「入墨刑」が情けなさすぎる
「徳川禁令考」という江戸時代の法令をまとめた文書があります。
▲ 「徳川禁令考」は近代デジタルライブラリーでも読むことができます。
この「徳川禁令考後聚」第四帙の263ページ付近に「入墨刑」に関する記述があります。
江戸時代には様々な刑罰の中に身体に入墨をほどこす刑が執行されていました。
今ではとても考えられない刑罰ですが、当時はこういった刑が普通に行われていたのですね。
入墨の入れ方は地域によって異なったそうです。
これは一説によると、犯罪を犯したものが どこの出身者か分かるようにするためとも言われています。
▲ 例えば京都の伏見ではこのように腕に二本線を入れられていました。
これはなかなかつらいものがありますね・・・。
▲ 筑後では+のようなマーク。
そしてさらにひどいのがこちら。
▲ 紀州では見たまんま「悪」と入れられていたようです。
強者(つわもの)だと「悪」なんて入れられたら「逆に箔がついていい!」と思ったりもしそうですが、どうなんでしょうか。
実はさらに上があって、一部地域では額に入墨が入れられていたようです。
▲ 額に一文字を入れたり、
▲ 黒丸マークを入れたり、
▲ ☓印なんてものもあったようです。
そして極めつけがこちら。
▲ 安芸では犯罪を複数回犯すと、その度に段階的に入墨をほどこしたようです。
一回目は横一文字でオーソドックスな形です。
▲ そして二回目はカタカナの「ナ」のような形になります。
▲ 三回めは なんと「犬」・・・。
「犬」とは情けないようでたくましくもある感じですが、これはひどすぎますね・・・。
この入墨を焼いて潰そうとしたり、上から別の模様を入れてごまかそうとしたりする者もいたそうですが、そういった者は見つかってしまうと罰としてさらに別の場所に入墨を入れられたそうです。
はたしてこういった刑罰が犯罪の抑止力になっていたかというと、はなはだ疑問ではありますが・・・。