【福岡市】江戸時代、徳川家を祀る施設があった荒戸山の西公園
荒戸山の西公園の荒戸山に光雲神社という神社があります。
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▲ 場所はこちらです。
黒田官兵衛とその息子の黒田長政を祀った神社ですが、この場所に光雲神社が造られたのは明治になってからです。
江戸時代には徳川家を祀る「東照宮」「松源院」「源光院」があり、大変荘厳だったそうです。
▲ 福岡藩では徳川家への忠誠心を形として示すために福岡城からほど近く、見晴らしも良い荒戸山に徳川幕府の初代将軍、徳川家康を祀る「東照宮」を造りました。現在光雲神社がある場所です。
▲ 古地図を見ると、現在の光雲神社の場所に「東照宮大権現」と書かれていて、その周辺に「松源院」「源光院」が描かれています。(※古地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(宮崎克則・福岡アーカイブ研究会 /海鳥社)」より)
かなり大きな施設だったことがわかりますね。
▲ さらに筑前名所図会には鳥瞰図が描かれていますが、一等地に堂々と建てられていて福岡藩が徳川家への忠誠心を強くアピールしたかったことが読み取れます。(※絵図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(宮崎克則・福岡アーカイブ研究会 /海鳥社)」より)
▲ 松源院は東照宮の宮司たちが住む施設だそうです。現在光雲神社の参道になっている場所の中腹あたりにあったようです。
▲ 源光院は3代将軍家光を祀った施設で、現在 立帰天満宮という神社がある場所の北西部にあったようです。
明治維新で徳川幕府が倒れ、これらの徳川家を祀る施設は廃寺となりました。
その後、源光院跡はキリシタン弾圧で捕まっていた人たちの収容施設となっていたそうです。
明治初期は江戸時代からのキリシタン弾圧が根強く残っていて、長崎の浦上で捕らえられた信者たちが福岡藩に移されてきていました。
信者たちはその後 山口に移され明治6年に禁教令が解かれると開放されたそうですが、収容施設の厳しい環境下で命を落とした人も多かったと言われています。
【参考文献】
・古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(宮崎克則・福岡アーカイブ研究会 /海鳥社)
海鳥社
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