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地下鉄工事の時に明治通りで発見された地下の石垣

意外と知らない人が多いのですが、明治通りには地下で発見された石垣が公開されている場所があります。


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▲ このあたり。福岡地方裁判所の北側、HondaCarsの向かい側あたりにあります。

▲ こういう謎の施設を見たことがありませんか?

実はこの場所から階段を下っていくと地下で発見された石垣を見ることができます。

地下鉄工事をしている時にたまたまこの場所から見つかったのだそうです。

▲ うしろ側の様子。「この施設は一体なんなのか?」と気になっていた人も多いのではないでしょうか。

▲ 階段を降りると石垣がそのままの状態で展示されています。

▲ 古地図でいうとだいたいこの辺りの石垣です。(※ 地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み」【海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編】より引用)

▲ この石垣が明治四十三年に市内電車がつくられた時に道幅拡大のために埋められてしまったそうです。

▲ ですので、お堀の幅は現在より7〜8メートルほど幅が広く約50メートルぐらいあったことがわかります。

この50メートルという幅もちゃんと意味があるらしく、当時の銃の飛距離が約50メートル程度だったために射程距離に入るぎりぎりの長さで堀が築かれたのだそうです。

逆に堀の幅が狭すぎると敵から攻めこみやすくなるため「攻」「防」両方を考慮した絶妙な幅になっているのだそうです。

▲ 展示されている場所にはガイドさんが常駐していますので いろいろと話しを聞くことができます。

ガイドさんの解説によると、この石垣は水に浸かってしまう部分の石垣なので作り方が雑なのだそうです。

▲ 確かに、福岡城の正門の石垣と比べてみると随分粗い作りになっているようです。

さらに、一般公開はされていませんが「平和台」の交差点付近に もう2ヶ所、地下の石垣が保存されている場所があるそうです。

そちらはもっと作りが粗い石垣なのだそうです。

ちなみに・・・

大濠公園の堀は昭和2年の東亜勧業博覧会の際に大幅に埋め立てられたのですが、その際の埋め立てに莫大な費用が掛かったため、その費用を回収するために大濠公園周辺に高級住宅街が築かれた、というような裏話(都市伝説?)も聞かせてもらうことができました。

土曜日のみですが、10時から5時まで無料で公開されていますので近くを通りかかったら ちょっとのぞいてみると おもしろいかもしれません。

【参考文献】
・古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編)

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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