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古地図で薬院門の位置を特定してみる

古地図で天神〜赤坂界隈を見ていると現在との共通点や、逆に現在と全く違う点を見つけることができて楽しいです。(※ 地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み」【海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編】より引用)

▲ 現在と違う点で特に目立つのが、堀と門の存在です。

大名の北側に「紺屋町堀」というものがあり、その東西に「赤坂門(赤坂御門)」と「薬院門」があります。

赤坂門は正式な地名としては残っていませんがバス停の停留所の名前として残っていたり、ビルの名前の中に「赤坂門」と入っていたりして場所のイメージがつきやすいです。

▲ この九州電力の赤坂変電所あたりが赤坂門があった場所です。


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▲ 地図で言うとこのあたり。

▲ 案内看板もありますので場所の特定は簡単です。

▲ しかし、薬院門のほうは地名にも残っていませんし、案内看板のようなものも見たことがありません。

ネットで調べてみてもその場所を特定した記事が見当たりませんので、その位置を特定してみたいと思います。

▲ まず、いつものようにお寺の位置をもとに推測してみます。

薬院門は少林寺と安国寺からまっすぐ南にいった場所にあるようです。

▲ 少林寺と安国寺の場所からまっすぐ線を引いてみます。

▲ そして、赤坂門からまっすぐ東に行った場所でもあるようです。

赤坂門の横辺りに特徴的な角がありますね。

そちらもヒントになりそうです。

▲ 古地図を見てみると、赤坂門があった場所の横に特徴的な角が残っていました。

ここからまっすぐ線を引いてみます。

▲ それらが交差した場所がこちら。

▲ 古地図を見てみると、交差した地点から少しだけ南に行って、さらにほんの少し東にカーブした場所に薬院門があったようです。

▲ 同じようにやってみると・・・


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▲ この場所にたどりつきました。

岩田屋の西通り側入口の前あたりに薬院門があったようです。

▲ ちなみに西通りがほんの少しだけ曲がっているのは、上記の「交差した地点から少しだけ南に行って、さらにほんの少し東にカーブした場所」を近代に修正したためだったのですね。

▲ 薬院門があった時の様子を現在の地図であらわすと、このような感じだったものと思われます。

こうやって見てみると、かなり大きな堀と門があったということがよく分かりますね。

【参考文献】
・古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編)

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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