【福岡市】福岡市内にある山崎朝雲の三つの作品
福岡市内には明治から昭和にかけて活躍した博多の彫刻家、山崎朝雲の作品がパブリックアートとして展示されています。
▲ まず一つ目はこちら。福岡市城南保健所の横です。
▲ ありました。こちらの像です。
▲ 「種痘」と書かれた台座の上に腕を見つめる少年が乗っています。
▲ 案内看板にはこう書かれていました。
天然痘の予防接種である種痘を終えたばかりの幼児が、右腕の接種跡をのぞき込んで安堵している。子供の無病息災を祈る作者の愛情が幼児の顔の表情によく表わされている。
作者の山崎朝雲(一八六七〜一九五四)は、今の博多区冷泉町出身。上京して彫刻家高村光雲に入門。主に文展・帝展・日展などを舞台に、わが国の近代彫刻界の重鎮として活躍。日本芸術員会員、文化功労者にも選ばれた。東公園の亀山上皇像は代表作。この作品は明治四十一年(一九〇八)の日本美術協会美術展覧会で銀賞牌を受賞した。
保健所の横ということで種痘像なのでしょうね。
明治の作品なので結構古いものですね。これは貴重です。
実は福岡藩は日本でもかなり早い段階から種痘に取り組んでいます。福岡藩の支藩である秋月藩の藩医 緒方春朔らが日本で初めて種痘を成功させたと言われています。詳しくはこちら→予防接種は秋月藩から始まった!
▲ そして二つ目がこちら。明治通り沿い、アクロス福岡の道を挟んで向かい側にある「桂(かつら)の影」です。
▲ 案内看板にはこう書かれていました。
「桂の影」とは、昔の言葉で「月の光」を表す。右手に兎を持ち、左手で卯月(旧暦の四月)が来るのを指折り数えている裸の童子は、桂の若葉が匂う春の月を象徴したもの。
こちらも明治の作品で明治40年(1907年)のものだそう。
▲ 子供が一瞬見せる何ともいえない表情をキャプチャした素晴らしい作品ですね。
毎日前を通っているという人も多いのではないかと思いますので、今度じっくり見てみて下さい。
▲ 最後はこちら。これは有名ですね。東公園にある亀山上皇像です。
▲ 案内看板には
13世紀後半の元(モンゴル)軍の来襲の際に、「我が身をもって国難に代わらん」と伊勢神宮などに敵国の降伏を祈願された亀山上皇の故事を記念し、福岡県警務部長(現在の警察署長)だった湯地丈雄氏等の17年有余の尽力により、明治37年(1904年)元冠に緑あるこの地に建立されました。高さ約6メ一トルを誇るこの像の原型となった木彫像は、当時、高村光雲門下で活躍していた、博多櫛田前町生まれの彫刻家山崎朝雲の代表作のひとつで、現在は筥崎宮の奉安殿に安置されています。
とありました。
亀山上皇像は「福岡が元寇のゆかりの地でありながら元寇を顕彰する記念碑がない」ということで作られたそうです。
元々は北条時宗の像になる計画だったのだとか。そのあたりは「東公園にある亀山上皇銅像はなぜ北条時宗にならなかったのか」で記事にしていますので読んでみてくださいね。
▲ そしてこちらが筥崎宮に残る亀山上皇銅像の原型となった木像。
銅像の原型というのは銅像の完成後に破棄されることが多く、こうして残っているのは珍しいのだとか。
さすがに亀山上皇の像を破棄することは はばかられたのでしょうかね。
町中で見れる山崎朝雲の作品、みなさんもぜひ鑑賞してみてください。