【中呉服町】善導寺にあるお地蔵さんが刻まれた元寇の船の礎石
中呉服町の善導寺にはお地蔵さんが刻まれた元寇の船の礎石があります。
▲ 福岡には元寇の時に元軍が船の碇石として使用していた石が各地に残されています。
上記の写真は筥崎宮の境内にある礎石。
▲ また冷泉公園の横にある大乗寺跡や承天寺、聖福寺、櫛田神社など色々な場所に元軍の礎石が残されています。
▲ そんな元軍の礎石の中でも中呉服町の善導寺にあるものは、とりわけ興味深い形で残っています。
[map addr=”福岡県福岡市博多区中呉服町6−24”]
▲ 善導寺の場所はこちら。福岡県福岡市博多区中呉服町6−24
▲ 善導寺の本堂。
▲ 本堂の向かって右側に礎石が立てられています。
▲ 他のほとんどの礎石が横に寝た状態で置かれているか、折れた状態になっているのに比べて善導寺のものは完全な状態で直立しています。
▲ そして、石をよく見てみるとこのようなお地蔵さんが刻まれています。
福岡市の文化財 蒙古碇石のページによると、延文三年(1358年)もしくは延徳三年(1491年)の年号が刻まれているのだそうです。
▲ 言われてみるとうっすら文字が読み取れます。
善導大師像の伝来の霊夢のページには
鎮西上人は不思議な夢をみられました。(中略)唐僧で中国浄土門の開祖である善導大師が夢の中で、「今博多に降り立ったので、汝早くわれを迎えに来るべし」とお告げになったのです。(中略)急いで博多の袖の港へ行かれました。そうすると船が着いており、この船に非常に徳の高いお坊さんが乗って居られたはずと尋ねられたら、千代の松原(現在の東公園方面)の方へ行かれたということで、蔵慶と二人で捜していると、大きな松の木の方向から声がしたので後ろにまわってみましたら、切り株の上に約三十センチ程の仏様がおられました。このお姿が善導大師だということでお迎えし、お祀りするために建てられたのがこの善導寺でございます。
とあり、遭難を救った船板名号のページには
当寺の門を入った所に細長い三メートルほどの石の柱が建っております。これを蒙古の碇石といい、善導大師をお迎えされた時、船の持ち主がお地蔵様を彫りこんで、このお寺に納めたといわれております。
と書かれていました。
▲ お寺の伝承では元寇の礎石ではないようですが、色んな所で元寇の礎石が供養塔などに転用されているらしく、善導寺のものも元軍のものである可能性は高いと考えられているそうです。
▲ いずれにしても誰がどうしてこのような形でお地蔵さんを彫ったのか、とても気になりますね・・・。