メニューを表示

【草香江】かつて入江だったことを伝える「草香江の歌碑」

草香江公民館の敷地内に「草香江の歌碑」があります。[map addr=”福岡県福岡市中央区六本松1丁目11−1”]
▲ 場所はこちら。

DSC03460
▲ 碑の横に設置されている案内板にはこう書かれていました。

昭和41年5月、当時の草香江公民館建設落成一周年を記念して、草香江の歌碑が建立されました。この歌碑には、万葉集に記された大伴旅人の歌が刻まれています。

草香江之 入江二求食 廬鶴乃 痛多豆多頭思 友無二指天
「草香江の 入江にあさる あしたづの あなたづたづし 友なしにして」

730(天平2)年、隼人征伐にきていた大伴旅人は、妻を失ったことや、家来が戦死・病死していったため、天武天皇に願って奈良の都に召還されました。その帰りの途中に鴻臚館に立ち寄り草香江の入江を見たところ、一羽の鶴が
寂しそうに餌をあさっていたため、わが身に置き比べ歌ったと地域に伝えられています。
「草香江」の地名は歌以前からあったと伝えられていますが、昭和38年の町名町界改正の時に、校区名の「草ヶ江」とは別に町名を「草香江」としました。


▲ 鎌倉時代の福岡市周辺を表したとされる博多古図。(→拡大して確認する


▲ これを見ると「草香江」として入江が描かれています。

北側は海とつながっており、一説によると南側は城南区の片江、長尾付近まで入江が入り込んでいたと言われています。

そう言われてみると「片江」という地名はいかにも入江っぽいですね。

また、長尾にある下長尾八幡宮東側のあたりは「しめの口」という呼び名があったのだそうです。

この「しめの口」は昔 船着場だったそうで、(海の安全祈願のため?)しめ縄を付けた柱があったためにそう呼ばれていたのだとか。→詳細はこちらの記事:長尾の名前の由来と旧海岸線(?)の下長尾八幡宮

DSC03461
▲ 何気なく見過ごしてしまいそうですが、西暦730(天平2)年頃の周囲の様子を伝える貴重な歌が記されているものだったのですね。

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
Twitter facebook
福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
ページトップへ戻る