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古写真で探る 姪浜炭鉱の痕跡

福岡市西区の姪浜、愛宕浜、豊浜の一帯はその昔、炭鉱の町として栄えていました。

現在の様子からするとこの近辺はあまり炭鉱のイメージはありませんが、Wikipediaの姪浜を確認すると、

1914年(大正3年)から採掘が始まった姪浜炭鉱(早良炭鉱)は年20万トンを出炭し、最盛期には約8000人の炭鉱労働者が居住していた。(〜中略〜)戦後も炭鉱は経営されたが1962年(昭和37年)に閉山。

とあり、たくさんの人々が炭鉱労働を行なっており、大変にぎわっていたようです。

昭和33年の航空写真を確認してみる

昭和33年の航空写真を確認すると当時の様子がわかります。

昭和33年の航空写真はこちら

▲ こちらは現在の航空写真に当時の海岸線(青色の線)とボタ山(赤色の線)を記したものです。

ボタ山とは「石炭や亜炭の採掘に伴い発生する捨石(ボタ)の集積場(Wikipedia ボタ山 より引用)」のことです。

昭和33年の航空写真のやや右側、現在の場所で言うとマリナタウンあたりに涙型のボタ山があったことがわかります。

もう一ヶ所のボタ山は小戸公園内にあったようです。

マリナタウン近辺にあった涙型のボタ山

姪浜炭鉱の古写真・絵葉書を調査していましたところ、涙型のボタ山が写っているものを発見しました。

遠き日の炭坑風景・志免海軍炭坑+姪浜炭坑」の中の

▼ こちらの写真です。
http://www.asocie.jp/archives/fukuoka/fukuoka/tankou/image/m02.jpg

▲ ボタ山の向きなどから判断すると現在の愛宕神社の駐車場付近から撮影されたものだと考えられます。

赤丸で囲んでいるあたりにボタ山があったようです。今では跡形もありませんね。

おそらくここにはもう何も残っていないものと思われます。

愛宕神社付近から撮影された炭鉱の全景と煙突の位置

もう1点、おそらく愛宕神社付近から撮影されたとおもわれる写真を発見しました。

▼ こちらの写真です。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/ehagaki2/meinohama.html

古写真と今津、能古島、志賀島がぴたりと一致する場所(愛宕神社の駐車場内)で撮影してみました。

マリナタウンのある愛宕浜1丁目から愛宕浜2丁目、豊浜一帯に炭鉱の施設があったことがわかります。

この写真と比較すると煙突の位置は大体この辺りだと思われます。

▲ おそらく駐車場内とトヨタホームのモデルルーム内に煙突があったものと考えられます。

▲ トヨタホームのモデルルーム内に煙突の痕跡がないか確認してみると、このようなロータリーがあったのですが、これはどうなんでしょうか。。。

さすがにこれは違いますかね?

しかし、大きさといい、位置といい、かなり近い気がします。みなさんはどう思いますか??

逆に下から煙突を撮影した古写真も発見しました。

▼ こちらの写真です。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/sekitan/17.jpg

山のてっぺんに愛宕神社が見えます。

▲ ほぼ同じ位置から撮影してみるとこのような感じです。

やはり煙突の位置は先程推測した駐車場内とトヨタホームのモデルルーム内でおおよそ間違いないと思われます。

海岸線はもっと近かった その1

こちらの写真をみると、現在よりも海岸線が400〜500メートルほど近いことがわかります。

旧海岸線の痕跡が残っている場所があるので見に行ってみましょう。


大きな地図で見る

▲ マリナ通りのグッデイとベスト電器の横にあります。

▲ こちらの外壁。

これは元々堤防だったものがそのまま使用されています。

確かにこの内巻きに丸みを帯びた形は堤防っぽいですね。

カモメや魚の絵が描かれていました。

▲ このようにコンクリートを貼り付けて拡張させた跡があったりして面白いです。

海岸線はもっと近かった その2


大きな地図で見る

▲ そしてもう一ヶ所、海岸線の痕跡があります。

▲ こちらも堤防の跡です。

壁の向こう側がもともと海だった場所です。

こちらは石積みの上にコンクリートで堤防が作られていますね。

▲ 階段跡も残っていました。

昔は釣り人がこれを登って釣りに行っていたのでしょうね。

▲ この堤防跡で もう一つ面白いものを発見しました。

矢印部分にレンガのようなものが見えます。

▲ これは「シャモット」という石炭などのボタ(捨石)が発火してできたものです。

ボタ山にはボタに混ざってこのようなシャモットが大量に放置されていました。※ というか、ボタ山が自然発火してシャモットが生成されていました。

おそらくこの堤防を作る際に、ボタ山の砂をコンクリートに混ぜて作ったのでしょう。

それがこのような形で露出してしまっているようです。

これもこの近辺に炭鉱があったことを示す痕跡ですね。

ーーーーその2へつづくーーーー

【参考文献】
・Wikipedia「姪浜
・姪浜の歴史「姪浜の位置や昔の古い写真
・Wikipedia「ボタ山
・Web地図の資料館「遠き日の炭坑風景・志免海軍炭坑+姪浜炭坑
・九州大学総合研究博物館「福博の名所(1)
・九州大学総合研究博物館「東アジアの炭鉱写真

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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