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【福岡市】色んな所にある元寇の船の碇石

筥崎宮の境内に元寇の時に蒙古軍が船の碇石としてしようしてたものが残されています。


▲ 西南高校の構内から移設されたという元寇防塁の前に2本置かれています。


▲ いつの時代にかは不明ですが、海中から引き揚げられたものだそうです。(※2014年11月15日追記:ただし、近年の研究によると、中国の貿易船のものの可能性が高いそうです。)

上記のパネルにある通り、福岡などの九州北部には蒙古軍の船の碇石と言われるものが至るところに存在しています。


先日紹介した冷泉公園の横にある大乗寺跡にもありました。

その他にも、承天寺聖福寺櫛田神社など色々な場所に置かれています。

壱岐ではお地蔵さんのように祀られているものもあったような気がします。

礎石は石碑などに転用されていることも多いらしく、昔はけっこうありふれたものだったのかもしれません。

それぐらいたくさんの船が攻めてきたということなんでしょうね。

実はあそこにある石碑も蒙古軍の碇石だったというのがありそうな気がします。


▲ 蒙古軍の碇石ではありませんが、大博通りにもこんな碇石が展示されています。


▲ 案内パネルによると、これは中国の貿易船の碇石だと考えられているものだそうです。

大博通りにある日通ビルから出土したものだそうです。

こうやってみると、やっぱり博多は海の町なのだなとあらためて思いますね。

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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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