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【平尾】熊本(隈本)城の元城主が建立した寺「光専寺」

熊本(隈本)城の元城主が建立した寺が平尾にあると聞き、行ってみました。IMG 4720
▲ その寺がこちらの「光専寺」。

[map addr=”福岡県福岡市中央区平尾3丁目22−15”]
▲ 福岡県福岡市中央区平尾3丁目22−15

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▲ 入り口にある掲示板を見てみると・・・

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▲ 確かに書かれていた!「光専寺の初代住職は元、隈本城の城主です。」

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▲ 「アノヨ コノヨ「鶴城山 光専寺」」のページによると、

開基の浄徳という方は、元は城久基という名で熊本(隈本)城主の城家3代目です。18歳にして仏門に入り41歳で現在の光専寺の寺号をいただくにいたりました。

とのこと。


現在の熊本城は茶臼山一帯の広大な敷地に作られていますが、元々は千葉城と言われる小さな城で敷地面積も狭かったと言われています。

千葉城の城主は出田秀信という菊池一族の人物でしたが次第に力が衰え、鹿子木寂心(かのこぎ じゃくしん)が次の城主となりました。

この時代に千葉城は「隈本城」として拡張されています。

しかし、子孫の代になって鹿子木家は大友家から追放されてしまい、大友家の仲間であった城親冬が隈本城の城主となります。

城親冬の孫、城久基の時代に豊臣秀吉による九州征伐があり城久基は城を明け渡しています。

この城久基がここ光専寺の初代住職、浄徳です。

慶長15年(1610年)に黒田長政から福岡城の東薬院(現在の大名・西通り付近)の土地や建築資材を賜り本堂を建立。

とのことで、元々は平尾ではなく別の場所にあったようです。

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▲ 福岡城下町・博多・近隣古図を見てみると、確かに現在の大名の部分に「光専寺」と書かれています。(※ 地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み」【海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編】より引用)

[map addr=”福岡県福岡市中央区大名1丁目14−45”]
▲ 現在でいうとこの場所。1Fに au や DIESEL があるビルの場所ですね。

昭和20(1945)年の福岡大空襲でお寺が焼失し住職が復員後の昭和35(1960)年に現在地に移転したのだそうです。

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▲ 光専寺には新見太郎兵衛の碑もあります。

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▲ この新見太郎兵衛は黒田藩二代藩主の黒田忠之の妻(継室)である養照院の弟で島原の乱で討ち死にした人物です。

遺骨は納骨堂におさめられているそうですが、墓は空襲の際に焼失しているそうです。

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▲ また、黒田藩四代藩主の黒田綱政の側室である光照院の墓もあります。

黒田家とのつながりが深いお寺だったようですね。

初代住職の浄徳は黒田官兵衛(如水)の正室である光姫が火葬された場所に「善龍寺」も建てています。詳しくはこちら→黒田如水(勘兵衛)公夫人 火葬の地

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▲ お寺で写真をとっていたら関係者の方がこういうパンフレットを持ってきて下さいました。

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▲ 光専寺の歴史が書かれた冊子ですが、こういうのがあると色々知れて興味が湧いてきますね。

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▲ こういうショップカードみたいなオシャレなカードもいただきました。WEBでの活動もしっかりとされているようです。

光専寺ホームページ
http://kousenjifukuoka.jp/

光専寺facebook
https://www.facebook.com/kousenjifukuoka/

Aaa
▲ あと、本堂を使ってシャンソンショーが開催されたりもしているようです。ちょっと行ってみたいな。

ちなみに、福岡市城南区友丘の妙泉寺では本堂でジャズが演奏されています。参考 → 古地図でみる 福岡市中央区大名の気になる曲がり角 その2

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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