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【福岡の絵葉書】意外とたくさんある!福岡城内に残る陸軍の痕跡

福岡城内は陸軍の痕跡が意外とたくさん残っています。DSC03831
▲ 現在は公園などに整備されて福岡市民の憩いの場になっている福岡城。

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▲ 藩政時代は福岡藩の中心地であり、黒田家の居城となっていました。

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▲ 明治維新後は政府から接収され、県庁として利用されたのち、陸軍の施設となりました。

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▲ その際、一部を残して多くの建物が取り壊されたと言います。

終戦後はGHQに接収され、GHQの撤退後は城全体が公園・球場・運動施設・住宅・その他さまざまな施設が作られ、現在に至っています。

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▲ 軍用地として使用された痕跡はほとんど残っていないように見えて、実は意外とたくさんのなごりがあります。

今回は福岡城内に残る陸軍の痕跡を巡ってみます。

歩兵第24連隊の表門にあった桃の木


▲ 下之橋御門の近くに「福岡聯隊の跡」の碑。


▲ この碑の裏に「営門の桃の木」と書かれた石柱があります。


▲ そしてその裏には桃の木がありますが、この木はかつて歩兵第24連隊の表門にあった桃の木なのだそうです。


▲ 当時の歩兵第24連隊の写真を見てみると桃の木がありますが、これが現在でも残っているようです。

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▲ ちなみに桃の木は砲弾型の石柱で囲ってあるようですが、

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▲ その砲弾型の石柱も三ノ丸御鷹屋敷へ行く坂道の脇に残されています。

「陸軍」と書かれた石柱


▲ 先ほどの営門の桃の木の周囲には「陸軍」と書かれた石柱が残っています。


▲ これは陸軍の敷地を示す石柱で城内以外にも薬院大通り長住中央公園別府の天満宮など福岡市内数カ所で見つけています。

歩兵第十二旅団司令部・福岡連隊区司令部の石柱


▲ 赤坂小学校裏の土塁。


▲ その土塁のしげみの中にポツンと立っている石柱。


▲ 石柱には「歩兵第十二旅團司令 福岡聯隊區司令部」と書かれています。


▲ 昭和2年の福岡市の地図を見てみると、ちょうどこの石柱がある場所あたりに「旅團司令部」と書かれていますので、建物の前などに建てられていた石柱なのでしょうね。

西部軍司令部のコンクリート壁

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▲ 福岡地方裁判所裏には巨大なコンクリート壁がありますが、この場所には西部軍司令部の防空作戦室があったそうです。

1940年(昭和15年)12月に小倉にあった西部軍司令部が現在の福岡地方裁判所の場所に移設され、地下一階、地上二階建ての防空作戦室が作られました。

様々な通信機器と主要な人物を爆撃から守るためにこのコンクリートの壁が作られたそうです。

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▲ 壁は二重構造になっていたのだそうですが現在残っている壁も二重構造になっているように見えます。

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▲ 崩れ落ちた壁の中にはたくさんの石が塗りこまれていることがわかり、戦況が悪くなっていた当時の緊迫した雰囲気が伝わってくるような感じがする痕跡です。

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▲ ほとんど何も残っていないように思えて意外といろいろなものが残っているのですね。

まさかこの場所に軍の施設があったとは信じられませんが、こういった痕跡を見ていると本当に福岡にもあったんだなと感じることができます。

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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