【平尾】玉屋を創業した田中丸家の邸宅跡 松風園
玉屋を創業した田中丸家の邸宅跡、松風園に行ってきました。
▲ 平尾山荘(→参考:高杉晋作も滞在した平尾山荘)からさらに奥まった高級住宅街にあります。
福岡市内の庭園では友泉亭が有名ですが、この松風園もけっこうスゴイです。
▲ 案内看板には
この地は、中洲にあった玉屋百貨店を経営した田中丸氏の邸宅跡で、昭和二十五年頃は松の大木が多数生育していたことから「松風荘」と呼ばれていました。
邸宅内には昭和二十七年頃に著名な京都の数寄屋師、笛吹嘉一郎によって建てられた茶室があり「松風庵」と呼ばれ、昭和五十四年に開催された日米市長会の公式接待にも利用されました。
福岡市は、この跡地を既存の樹林、茶や茶庭をお膳しながら、茶道を主体とした文化活動や、日本庭園を身近な憩いの場として利用できるように整備しました。
「松風園」の名は「松風庵」から受け継ぎ命名したもので、都市部におけるみどりのオアシスとして平成十九年に開園したものです。
とありました。
▲ これが個人の邸宅だったのか・・・と思ってしまいます。すごいです。
この家を建てた田中丸善八は陶磁のコレクターとしても有名だった人で美術館や博物館でよく展示会が開催されています。→田中丸コレクションの肥前磁器
▲ 松風園ではこういった解説の綴りを貸してもらえますので、僕のように日本庭園について全くわからない人でも解説を読みながら回っていくとより深く理解できて面白いです。
▲ 中央のポコっと出ている岩は富士山を表現しているのだとか。それを中心に5つの岩が配置されていて、これは富士五湖を表しているのだそうです。
▲ この茶室が松風園の名前の由来になっている「松風庵」です。
京都の有名な数寄屋師、笛吹嘉一郎によって建てられたものだそうです。
ちなみに「数寄屋(すきや)」とはWikipediaによると
日本の建築様式の一つである。数寄屋(茶室)風を取り入れた住宅の様式とされる。
語源の「数寄」(数奇)とは和歌や茶の湯、生け花など風流を好むことであり、「数寄屋」は「好みに任せて作った家」といった意味で茶室を意味する。
ということだそうです。
▲ この札の「松風庵」の文字は電力王と言われた財界人、松永安左エ門によるものだとか。
▲ 庭には東屋もあります。個人宅に東屋とは・・・。癒されそうです。
京都の桂離宮にある四ツ腰掛けを模して造られたものだそうです。
▲ この椅子の配置にもこだわりがあるそうです。座った時にお互いが向かい合って座る形にならないようにあえて椅子の方向がバラバラになるようにしてあります。細かい部分まで計算されて造られているのですね。
▲ 灯籠も面白いです。こちらは織部灯籠と言われるもの。マリア像のような仏像が掘られていて、台座の形が十字架っぽいことからキリシタン灯籠という別称もあります。
織部灯籠に関する記事はこちら →マリア像?香正寺・聖福寺・春吉某所で見つけた同じ形の石
▲ こちらの灯籠には傘の下部分に茶道具のレリーフが掘られています。遊び心いっぱいの灯籠ですね。かなり珍しいものらしく、日本でココにしかないということです。
▲ 邸宅の中も見て回ることができます。
松風園が一般開放されたのは2007年で最近まで個人宅として使われていたのだそうです。
▲ 松風園では色々と催し物も開かれているようですので参加してみるのも良いかもしれません。
【参考サイト】
・福岡市文化交流公園 松風園
・Wikipedia 玉屋 (百貨店)
・松風園 よかなびWeb
・玉屋ホームページ 会社概要