【福岡市】菅原道真が水面に映った自分の顔を見たことに由来する水鏡天満宮
天神にある水鏡天満宮は菅原道真ゆかりの神社です。
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▲ 場所はアクロス福岡の向かい側です。
▲ 鳥居の横にあった案内板にはこう書かれていました。
この神社は一名水鏡天満宮という。社伝によると延喜元年(九〇一年)菅原道真公が太宰権帥に左遷されて博多に上陸の時、四十川(現在の中央区今泉)の清流を水鏡として姿をうつされたので後世その地に社殿を建てて水鏡天神、又容見天神といった。慶長十七年(一六一ニ年)初代藩主黒田長政が現在の地に移築遷座し、寛永十八年(一六四一年)二代藩主黒田忠之が社殿を再建した現在福岡市の中心「天神」の地名は当社に由来す。社宝として、水鏡天神縁起、(大鳥居信祐筆)、鏡天神縁起、渡唐天神像、その他がある。尚当宮正面鳥居扁額は、元総理大臣広田弘毅が小学生の時揮毫したものである。
要約すると、
・菅原道真が京都から博多に左遷された
↓
・現在の今泉に流れる四十川(今は薬院新川)に自分の姿を映して見た(水面に映る自身のやつれた姿をみて嘆き悲しんだ)
↓
・後世にそのエピソードにまつわる容見天神が建てられた
↓
・慶長17年(1612年)に黒田長政が現在の地に移設した
とのことです。
▲ 今泉の方の旧容見天神の場所には現在石碑のみが建てられています。
場所は私有地なので詳しくは書きませんがネットで調べるとたぶんわかります。
歴史に少し詳しい方はご存知かと思いますが、この「容見天神」の「天神」が現在の地名の「天神」の由来となっているわけです。
▲ 鎌倉時代の福岡・博多をあらわしたとされる博多の古図には四十川や容見天神の様子が描かれています。※ 古図は大博通りのパネルより(→ 拡大して表示)
▲ 四十川や容見天神、それから菅原道真が上陸した時に出迎えた場所だと言われている綱敷天満宮も描かれていて、これらの位置関係は上記のような感じです。
綱敷天満宮の場所に上陸し、徒歩で四十川の方向に行き水面に自分の姿を映し、太宰府に向ったのでしょうか。(ちなみに菅原道真が水面に自分の姿を映したと思われる場所で僕も自分の姿を見てみました。→詳しくはこちらのページ)
城南区の神松寺にある老松神社にも立ち寄ったという伝承がありますのでいろいろと立ち寄りながら太宰府を目指したのでしょう。
▲ 水鏡天満宮の境内ですが、天神の真ん中とは思えないほど静かな雰囲気です。
▲ 真横の小道には横丁もあったりして不思議な空間です。
▲ 裏側の鳥居。
真横には福岡市文学館もありますし、都会の真中にありながら何かと歴史を感じるスポットです。
▲ 本殿は思いのほかゴージャス。ご利益ありそうです。特に合格祈願とか。
▲ 冒頭で紹介した案内板にも書かれていましたが、こちらの正面鳥居の扁額は元総理大臣広田弘毅が小学生の時に揮毫(きごう=著名人が書いた文字の意)したものだそうです。
▲ 扁額を拡大。
ちなみに曲淵の山神社の鳥居にも広田弘毅による文字をみつけました。(→詳しくはこちら)
今回の記事と下記の記事を合わせて読むとより楽しめると思います。
↓↓↓↓
・【薬院】菅原道真が川に映った自分の顔を見てガッカリした場所を探す
・Welcome道真な綱敷天満宮
・城南区神松寺の古墳の上にある神社と気になる名前の橋
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