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【高宮】タモリなど著名人を多数輩出した街 高宮界隈を歩く

福岡市南区の高宮はなぜか多くの著名人を輩出している街です。

[map addr=”福岡県高宮駅”]

特に高宮中学校は著名人が多いことで知られていて、出身者は

タモリ
高橋真梨子
木内一雅
きうちかずひろ
森口博子
博多華丸
氷川きよし
岩坂名奈(久光製薬スプリングス)
鹿谷弥生
安川有(大分トリニータ)
野田和佳子
川原浩史(なんでんかんでん社長)
光永祐也(アビスパ福岡)
Wikipedia福岡市立高宮中学校 より引用

という、そうそうたるメンバーがそろっています。

また、福岡第一高等学校第一薬科大学付属高等学校(※いずれも正確には住所は玉川町になる)も著名人が多いです。


▲ 今回はその秘密を探るべく(?)高宮界隈をめぐります。


▲ まず、高宮を横切る「高宮通り」。

この道はかつて大宰府から鴻臚館を結ぶ一直線の道「官道」のなごりではないかとも考えられている道です。→ 太宰府から鴻臚館を結ぶ一直線の道

この道をま〜〜っすぐ引き伸ばすとちょうど大宰府に突き当たります。その沿線上には旧跡が多いのだとか。古来から人の行き来があった道なのでしょう。高宮も発掘すると何かが見つかるかも?!


▲ その高宮通り沿いにある高宮駅。外観が妙に昭和チックでいいですね~!

1978年(昭和53年)に高架化して現在のような形になっています。

歩道橋があったりマンションがあったり公共施設とつながっていたり、エントランス周辺は増築増築が重ねられたようで結構複雑に入り組んでいます。


▲ 高架下にはちょっとした商店街が形成されています。


▲ 関東や関西に比べると福岡は高架下がそれほど活用されていない気がしますが、高宮は飲食店などが軒を連ねていてちょっと珍しいかも。

「味のみちくさ通り」。ついついフラッと立ち寄りたくなる良い名前です。


▲ 高宮通りを南下すると野間四角です。ここにある「鯛宝楽」という鯛焼屋さんは有名ですね。鯛焼一筋45年だそうです。


▲ で、この鯛宝楽の西側にあるビル群が妙にレトロ。築40年ぐらい経過していそうな感じで迫力があります。


▲ このレトロなビルにテナントを構えていた伝説の100円ラーメン「勝龍軒」は先日惜しまれながら閉店となりました。→ 1968年から営業している野間の100円ラーメン「勝龍軒」が4月末で閉店

福岡第一高等学校時代の CHAGE and ASKA の ASKA も足繁く通っていたのだとか。


▲ 閉店間近になるとこんなにも行列ができていました。(2014年4月24日に撮影)


▲ 現在ではロープが貼られて立入禁止になっていました。もしかしたら建て替えになるのかもしれません。「もののあはれ」を感じさせます。


▲ 高宮通りをさらに南下するとファミレス ジョイフルの手前に「石投げ地蔵」というものがあります。

案内看板には

このお地蔵さんは、筑前風土記に「塩煮塚」と記録される、古い歴史をもつものである。

昔、この付近は宝満山に入峰の折り、山伏が断食修業しながら通った処である。伝説の中に、太郎坊と云う山伏が修行半ばにして、この地に倒れたのを、石を積み上げて祀り供養したのが、その名の起こりである。

境内に多数ある小石は、イボの治療に効くと言われ昔から「イボ取り地蔵」として、近郷よりの参拝者が後を絶たない。

また、近隣の人々は、安産子安の地蔵として信仰し諸々の願いも叶えて下さる霊験あらたかな地蔵さんである。

とありました。


▲ 鎌倉時代をあらわしたとされる博多古図を見てみると、


▲ 「潮煮塚」の記載がありました。かつてはこのあたりまで冷泉ノ津と言われる入江が入り込んでいたんですね。

ちなみにこの潮煮塚は海水を煮詰めて塩を作っていた場所なのだそうです。海のなごりがこんなところにも!おもしろいです。


▲ 案内看板にあった石を積み上げて山伏を供養したという伝承通り、境内には平たい石がたくさん落ちていました。


▲ こちらがイボ取り地蔵。山伏を供養した石が時代を経るごとに転じてイボ取りに効果があると変わっていったのでしょうね。

ここからもう一度 勝龍軒の辺りに戻ります。


▲ 勝龍軒近くの小道から西に入ると文化橋という橋がありました。


▲ その脇には なんとも誇らしげに「寄付者 大神助吉」の碑が。大正時代のものでした。大神助吉さんは著名な方なのでしょうか。ネットで調べてみましたがヒットしませんでした。もしかしたらこの辺りの地主だった人とかでしょうかね。


▲ 文化橋を進むと周囲を高い塀に囲まれた森林があります。ここはかつて炭鉱で財をなした貝島家の別荘だった場所です。麻生家、安川家と並び、炭鉱御三家と称された家です。

個人のものとは思えないほど広大。

[map addr=”貝島別荘” zoom=”18″]
▲ 地図で見るとわかりますが、巨大な邸宅が現在でも残されています。ただし、廃墟状態とのこと。


▲ 森林の奥に少しだけ建物が見えました。


▲ 現在は福岡市の管理になっているそうで、公園として整備する計画もあるのだとか。

ちなみに城南区の友泉亭もかつては貝島家が所有していたことがあるそうです。→ 黒田家の別邸跡 友泉亭


▲ 立入禁止になっていて中に入ることはできませんが、友泉亭のように日本庭園と邸宅が開放されれば新たな観光スポットになりますね。


▲ 貝島別荘からさらに西に進むと高宮八幡宮があります。


▲ 周辺は坂道が多く、意外と高い場所にあります。察しの良い方なら もう おわかりかもしれませんが、この高宮八幡宮が「高宮」の地名の由来になっています。「高」い場所にある「宮」だから「高宮」ですね。

ちなみにタモリは坂道の本を出すほどの坂道マニアです。

新訂版 タモリのTOKYO坂道美学入門
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幼少期は一日中坂道をながめて過ごしていたと本やテレビなどで事あるごとに語っていますが高宮で坂道と言ったら高宮八幡宮周辺しかありませんので、幼少期のタモリがこのあたりで坂道をながめていたのかもしれません。

あと、何かの番組で防空壕跡らしき地下道が残っていて、そこに入って遊んでいたという話もしていました。それもどこかに残っているかもしれませんね。


▲ 入口付近にあった石碑。


▲ よく見ると黒田長成(ながしげ)の名が。福岡藩最後の藩主 黒田長知(ながとも)の息子で、黒田家13代目の当主にあたります。たぶん、揮毫(きごう=神社名などの文字)を奉納したという碑かと思います。


▲ この高宮八幡宮はかつてはもっと山の上、現在の高宮浄水場あたりにあったのだとか。

官道の沿線上で福岡・博多方面と大宰府方面を一望できるということで軍事的に重要な場所だと考えられていたのだそうです。

防人(さきもり)がこのあたりを警備したりしていたのかもしれませんね。


▲ そんなわけで、有名人を多数輩出している理由はさっぱりわかりませんでしたが、とても歴史ある街だということはわかりました。

鉄道沿線ということもあり人気のある高宮、住みやすそうな良い街です。

【参考サイト】
高宮八幡宮由緒・由来
Wikipedia貝島太助
旧炭鉱王の別荘 ままごと座 la dinette par Mariko Ishii

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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